古典の研究について

今週のお題「自由研究」

私は大学で古典の研究をしています。といっても、まだまだ一歩、いや半歩を踏み出しかけているような状態です。(その状態の方が逆に疲れそうですが)

古典の研究に対して、「それは何の役に立つの?」と良く聞かれます。自分でも、「これが何の役に立つの?」と聞きたくなる時があります。そういう時に思うことは、こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、「役に立つことが目標と言うわけではない」という事です。
役に立つか立たないかではなく、知りたいか知りたくないかがそもそもの動機です。

言葉はだいたいの人が使うことが出来るものですが、よく考えると不思議なことがたくさんあります。「何故明後日の次の日は「し」明後日なのか。」「二日前のことを「おととい」と言うけど「をと」って何か。」「鼻血は「はなぢ」と書くけど家事は「かじ」なのはなぜか。」などなどです。

そういう「なぜ」はパンの酵母と同じくらいか弱いものです。ちょっと温度や分量を雑に扱うと膨らんでくれないように、「そういうものなの」と言っただけで簡単にぺしゃんこになってしまいます。しかし、こういう簡単な疑問が少しずつ膨らんでいって、手をつないで、言葉がもつ不思議に対する私たちの理解を生み出してくれます。

「何の役に立つの」と言われると、「そういうことが知りたいと思う人が、知りたいと思った時に、長い時間をかけて同じことを考えた人の考えを知ることが出来るから、もっと新しいことを考えることが出来るんですよ」と答えたいです。フーン、そんなもんなんだ…

私は小学生の時にはプランクトンの研究をしていました。今は古典の論文を書いています。人生いろいろですね。

 末筆になりましたが、自由研究に取り組んでいる小学生の方は頑張ってください。(小学生に向かって書いていたんですね。知りませんでした。)