籠の中の鳥(『源氏物語』紫上)

源氏物語』「紫上」の一部を5分ほど読みました。紫の上は源氏物語のヒロインの一人です。篭に捕らえて飼っていた雀の子を別の子どもに逃がされて泣いているのが彼女の第一声でした。ざっくりと言って、女性の自立が今よりも難しかった上に、源氏に振り回され、思い乱されたという紫の上のキャラクターを考えますと、篭にとらわれた小鳥と源氏の妻としての彼女はどこか重なるように思え、考えさせられました。
 私もまた色々なものに捕らわれているように感じます。例えば、(言っても仕方ありませんが)期限までにしなければいけない仕事に捕らわれています。そもそもお金を稼ぐためには、決められた時間に決められた場所に居なければなりません。(当たり前ですが)それを考えますと、私もまたその小鳥と大差ないのではないかと思います。
 それでは篭の外から出たらどうなるでしょう。自給自足で生きていかないといけません。それが私にできるでしょうか。木の実を集めるくらいならできるかもしれませんが、電気やガスの無い暮らしを今から送ることは躊躇されます。ちょっと私には、町の外で生きていくビジョンは今のところ見えません。
 自給自足が出来ない人間が生きていくための、助け合いの結果として、お金を得るための仕事があるのでしょう。しかしながら、人と生きることを決めた時点で、色々なものに縛られていくことになります。そういう宿命なのでしょう。
 だとすると、助け合いの心を持たないと行けないのだと思います。そもそも私が縛られている理由は、一人で生きていけないからであるため、誰かに助けて貰わないと社会で生きているメリットがあまりないということになるからです。そして、誰かに助けて貰うためには、誰かを助ける気持ちを持たないといけないからです。
 朝は眠たいですが、電気と水道とガスを享受するために今日も捕らわれようと、そう思いました。なぜ自分が社会で働いているのか、通勤時間にスマホを見る代わりに考えてみてはいかがかと、そう思いました。