旅は道連れ、世は情け(でもスマホに聞く)(『東海道中膝栗毛』より)

昨日の歩数は7862歩でした。今日は日本古典文学大系62番の『東海道中膝栗毛』を読みます。江戸時代の本です。二人の人物が旅をしていきます。
旅の出来事って、何故あんなに面白いのでしょう。主人公の一人弥次郎兵衛がかご(二人が駕籠を担いで人を運ぶものです)を勧められる場面です。

かごかき(「かごよしかの【いらないかね】。だんな戻駕(もどりかご)だ。やすく【安く】いきましやう」
弥次郎兵衛「かごはいくらだ
駕「三百五十
弥「たかいたかい。百五十ならおれがかついでいかア
かご「百五十にまけますべい【まけましょう】
弥「まけるか。ドレドレ此草鞋(わらんぢ)をそけ(其所)へつけて下せへ。
かご「おめへ【弥次郎兵衛が】乗るのかへ【乗るんですか?】。百五十で【弥次郎兵衛が】【駕籠を】かつぐといわしやつたじやアないか。そんだんで【それだから】片棒(かたぼう)【担ぐ棒のもう一方を】わしがかついで、百五十とるのだ
弥「ハヽヽヽ、こいつはいゝ。ヱイハそんなら二百(じば)か
かご「やすいがいきますべい。【行きましょう】ナア棒組(ぼうぐみ)【もう一人の駕籠を持つ人に話しかける】。
サアめしませ【乗りなさい】トかごのねができ、弥二郎兵へこゝよりかごにのつて出かける


旅先でのちょっとしたやり取りですね。運賃の値切り交渉です。駕籠は二人が担ぎます。三五〇という値段に対し「一五〇でなら…」と駕籠持ちに言うと、「じゃあ負けよう」と言われ交渉成立かと思われます。しかし、駕籠持ちは、「半額でやるわけだから、あなたに駕籠の棒の一端を持ってもらわないと…」と言うわけで、結局二〇〇というところで折が付きました。駕籠持ちはなかなか駆け引き上手だと思います。私はあまり値切ったことはありませんが、これくらい会話が楽しめるならやってもいいかなあと思いました。

旅の出来事はどうしてこんなに面白いのでしょう。いつもと違う場所で、いつもと違うものを見て、違うものを食べて…しかし、『東海道中膝栗毛』にはそれに加えて「いつもと違う人」がたくさん出てきます。


そういえば、旅先での人との出会いは私はあまりしていないなあ、と思いました。普通にビジネスホテルに泊まっていても、なかなか人と話す機会はありません。分からないこともスマホが教えてくれます(私はガラケーですが)。値切り交渉なんてしません。飲み屋にも入りません。今はご時世柄難しいですが、世の中が落ち着いたときには、「知らない人と出会えるような」旅がしてみたい。ゲストハウスとか、地元の飲み屋さんに入ってみるとか…やっぱりハードルが高いかなあ、という気もしてきますが。


それに今までも、なんだかんだで旅に出たときは、そこで見た人が記憶に残るような気がします。特に話さなくてもそうです。そういうのって不思議だなあと思いましたが、よく考えると銭湯にいた人か飲み屋にいた人ばかり思い出すような…

雨が降ったら、帰る!(『芭蕉句集』より)

昨日の歩数は16945歩でした。今日は日本古典文学大系45番の『芭蕉句集』です。


雨降ければ
草履の尻折てかへらん山桜


雨が降って来たので、「草履の尻を折って」帰ろう。雨で散ってしまう桜も折っていこう。というような意味かと思います。


草履の尻を折るというのはどういうことなんでしょう。場所は山桜とあるので山の中と分かります。山道を草履で歩いた経験がありませんが、水が跳ねるのでなるべく靴の底を高くして、濡れないように歩こうという事なのでしょうか。やってみたい気もしますが、そんな目に会いたくありません。


山の中で雨が降ったら帰る。それは当たり前のことのように思います。最近キャンプ動画で、真冬のソロキャンプをしているのを観ます。いいなあ、と思いますが、自分は寒い中で家から出たくないなあ、と思います。でも、焚火の揺らぎに照らされながらコーヒーを飲む姿にいいなあ、と思います。でも、温かい家から出たくもないのです。


いくら桜が咲いていたって、山の中で雨が降ったら帰ります。それはもう、草履の尻を折ってでも帰ります。もうむちゃくちゃです。でも、ついでに桜を少し折っていこう。放っておいても散ってしまうだろうし…自然には勝てませんが、その中での等身大な人の営みが書かれているような気がします。桜を持って帰るなんて風流な気もしますが、ずぶぬれで草履の尻を折りながら家に帰って来た人を見て、家の人はなんて思うのでしょうか。想像してみたら、少しおかしい気持ちになりました。

そわそわ雨の不思議(『古代歌謡集』より)

昨日の歩数は5303歩でした。今日は「日本古典文学大系」3番の『古代歌謡集』の「催馬楽」です。平安時代の歌謡です。

 

婦(いも)が門(かど) 夫(せな)が門(かど) 行き過ぎかねてや 我が行かば 肱笠(ひぢがさ)の 肱笠の 雨もや降(ふ)らなむ 郭公(しでたをさ) 雨やどり笠(かさ)やどり 舍(やど)りてまからむ 郭公(しでたをさ)

 

(きみがいる家の聞の前を あなたがいる家の門の前を 通り過ぎがたくてなあ 私が行けば にわか雨が にわか雨が 降らないかなあ ホトトギスも 雨宿り 傘宿り 雨宿りして出ていくだろう ホトトギス

似た歌が万葉集にもあるそうです。


妹が門 行き過ぎかねつ ひさかたの 雨も降らぬか そをよしにせむ


(あなたの家の前を行き過ぎがたい。(ひさかたの)雨が降らないかなあ。それを言い訳にするのに)

 

「ひさかたの雨」より「肘笠の雨」(急な雨で傘を忘れて肘で雨を防ぐ様子)の方がイメージしやすいですね。万葉集の歌に比べて、ホトトギスも雨宿りしていてかわいらしいです。


今だったら意中の人の家に雨宿りに行くなんてとてもできないですね。マンションの軒先になら入れるかもしれませんが。「急に雨が降ってくれたら、あなたの傘に入れるのに…」という相合傘をしたいという歌ならあり得るかもしれませんが、相合傘もあまりしているのを見ないです。漫画だとたまに、一つの傘を譲り合ってどちらかの肩が濡れるという表現が出てきますが、この辺が現代的な感覚なのかもしれません。


新海誠の「言の葉の庭」でも思ったのですが、雨にまつわる恋の描写が良く見られるような気がします。ラブコメでも、雨宿りイベントは鉄板です。(鉄板ですか?)雨が降ると、人はそわそわするものなのでしょうか。興味深いと思いました。

春はぼんやり(新古今和歌集』より)

昨日の歩数は7128歩でした。今日は日本古典文学大系28番の『新古今和歌集』を読みます。
  いま桜さきぬと見えてうす曇り 春にかすめる世のけしき哉(春歌上・式子内親王

いつも春は忙しくて、ぼんやりとしてしまいます。記憶が断片的で、妙に覚えてることが毎年二三はありますが、それがいつ、どういう状況だったかというと、説明が出来ません。
毎年、大きな桜が咲く公園に行くという行事があって、春と言えばその桜が頭に浮かびます。しかし、それは去年の桜だったか、おととしの桜だったか…それとも、ただ記憶を勝手に補完しているだけかもしれません。春はぼんやりとした季節ですが、それは私の話です。
式子内親王が「今桜が咲いたと見えて、薄曇りで、春に霞んでいる世のけしきだなあ」と詠う気持ちははっきりとは分かりません。「うす曇り」や「霞む」は春の実際の景色のことなのでしょうか。それとも、気持ちの話なのでしょうか。両方でしょうか。両方とも違うのでしょうか。
特に去年は、家に閉じこもっていたので春の景色を覚えていません。今年はぜひ、桜を見に行きたいと思います。しかしその記憶も、もしかしたらぼんやりとしたものになるかもしれません。

生き生きとしたキャラクター(『風来山人集』より)

一昨日の歩数は4855歩でした。今日は日本古典文学大系55番の『風来山人集』を読みます。帯には「あまりに特異な才能ゆえに世に容れられず数奇な運命を辿った平賀源内の作品集!」とあります。その中から「根南志具佐」(根なし草)という、源内が書いた江戸時代の、今でいう「戯曲」と言うべきなのでしょうか…そういうものを読みます。
読んでいて、キャラクターの愛らしさが印象に残りました。
物語には地獄が出て来るのですが、その地獄の描写が面白いです。

 

【地獄は】昔はさのみ鬧敷(いそがわしく)もあらざりしが【忙しくもなかったが】、近年は【江戸時代】人の心もかたましく【ひねくれてきた】なりたるゆゑ、様々の悪作る者多く、日にまして罪人の数かぎりもあらざれば【数に限りもないので】、前々より有來(ありきたり)の地獄にては、中々地面不足なりとて、閻广王【閻魔様】こまり給ふ折を窺【タイミングをうかがい】、山師共【土地に投資をする人】は我一と内證【裏から手をまわし】より【閻魔様に】付込(み)、役人にてれん追從賄賂【役人に様々に手を尽くして】などして、さまざまの願を出し、極楽海道十万億土の内にて、あれ地【荒地】を見たて、地藏菩(ぢぞうぼさつ)の領分、茄子畠(なすびばたけ)の辺までを切ひらき、数百里の池を掘(り)、蘓枋(すおう)【紅の染料】を煎じて血の池をこしらへ、山を築ては剣の苗を植させ、罪人をはたく臼も、獄卒どもの手が届かざればとて、水車を仕懸させ、焦熱地獄には人排(たたら)を仕かけ、其外叫喚・大叫喚・等活(とうかつ)・黒縄・無間地獄等の外に、さまざまの新地獄をこしらへて、岡場所地獄と称し、三途川の姥も一人にては、なかなか手がまはり得ぬとて、…

 

地獄は怖い場所のはずなのに、地獄に落ちる人間の数が増え、鬼が頑張って地獄を拡張していく。その土地は人間につかまされる。コミカルで面白いです。

 

その地獄に、菊之丞という役者への恋情で地獄に落ちた僧が落ちてきます。閻魔大王がその僧を裁くのですが、閻魔は、どうもそのような道は苦手なようで…菊之丞という役者がどれくらい美しいのか、絵を見てみようという運びになったのですが、閻魔大王は、

 

【周りの人が菊之丞の】絵図を見る事は勝手次第たるべし。しかしおれ【閻魔】は若衆を見るは嫌なれば、絵の有内は目を閉て見まじき程に、早とくとく」と御目を閉させ給へば…

 

「おれは見るのは嫌だから、目を閉じておく…」という閻魔です。なかなか愛らしいキャラクターだと思います。


そして、実際にその絵を見てみると、菊之丞のなんたる美しさ。周りの鬼は息をのみ、閻魔も菊之丞に一目ぼれをしてしまいます。そして、菊之丞をなんとか閻魔のいるところ(地獄)に呼ぼうと言う話になるのですが…様々なキャラクターの面白さが印象に残りました。

 

次に、筆者平賀源内がずばずばと物を言っていく様が痛快です。

 

曾子(そうし)【親孝行で有名な人】は飴を見て老を養んことを思ひ、盜跖(とうせき)【有名な盗賊】は是【飴】をみて錠(ぢやう)をあけんことを思ふ。下戸は萩を見てぼた餅を思ひ、歯なしは淺漬を見てわさび菜卸(わさびおろし)を思ふ【すりおろしたいと思う】も、皆人びとの好(む)處(ところ)へ、情の移(うつる)が故なり。好こそ物の上手なりとて、親好(おやずき)は孝行の名を上(げ)、主好は忠臣の名を殘す。是等の好は積(つむ)ことをいとはず。

 

人は自分の見たものを好きなものに寄せて考えがちだと言います。他にも、歌舞伎の女形が役作りのために、月のものになった気分になっていたという事を挙げて、次のように言います。

 

実に其業(わざ)を專一に勤(む)るものは、皆々かくのごとくありたきものなり。然(ら)ば敵役は常に人をいじめ、或は芝居でするごとき悪工(わるたくみ)をして、日に二三度も本に【本当に】殺れても見るやと、理屈いふべけ〔れ〕ども、是又左にあらず。悪き事は似せる事易し、譬(たとへ)芝居でなくとも、悪人になるは何のぞうさもなき事なり。只善に移る事は、勤(め)ずんばなりがたし。

 

人はほっといても悪人になるものなので、悪人の役作りよりも善人の役作りの方が難しいと源内は言います。演劇をしたことが無いのでわかりませんが、ほっといても悪人になりやすいというのは、そうかもしれないなあと思いました。

 

最後に、江戸時代の暮らしの描写が生き生きと描かれていたのが印象に残りました。長いですが…

「行川の流はたへずして、しかももとの水にあらず」と、鴨の長明が筆のすさみ、硯の海のふかきに残、すみだ川の流清らにして、武藏と下総(しもつふさ)のさかいなればとて、両国橋の名も高く、いざこと問(は)むと詠じたる都鳥に引かへ、すれ違ふ舟の行方は、秋の木の葉の散浮がごとく、長橋の浪に伏は、龍の昼寝をするに似たり。

 

かたへには軽業の太鞁(たいこ)雲に響ば、雷も臍(へそ)をかゝへて迯(にげ)去、素麪(そうめん)の高盛(たかもり)は、降(ふり)つゝの手尓葉(てには)を移て、小人嶋の不二山(ふじさん)かと思ほゆ。長命丸の看板に、親子連は袖を掩(おほ)ひ、編笠(あみがさ)提た男には、田舍侍懐をおさへてかた寄(り)、利口のほうかしは、豆と徳利を覆し、西瓜のたち賣は、行燈の朱を奪ふ事を憎。虫の聲々は一荷の秋を荷ひ、ひやつこいこいは、清水流ぬ柳陰に立(ち)寄(り)、稽古じやうるりの乙(おつ)は、さんげざんげに打消れ、五十嵐のふんふんたるは、かば焼の匂ひにおさる。浮絵を見るものは、壺中の仙を思ひ、硝子細工にたかる群衆は、夏の氷柱かと疑ふ。鉢植の木は水に蘓(よみがへり)、はりぬきの亀は風を以て魂とす。沫雪の塩からく、幾世餅の甘たるく、かんばやしが赤前だれは、つめられた跡所斑に、若盛が二階座敷は好次第の馳走ぶり、燈篭売は世帯の闇を照し、こはだの鮓は諸人の酔を催す。髮結床には紋を彩、茶店には薬缶をかゝやかす。講釈師の黄色なる聲、玉子玉子の白聲、あめ売が口の旨榧(かや)の痰切が横なまり、燈篭草(ほゝづき)店は珊瑚樹をならべ、玉蜀黍(とうもろこし)は鮫をかざる。無縁寺の鐘はたそがれの耳に響、淨觀坊(じやうくわんぼう)が筆力は、どふらく者の肝先にこたゆ。水馬は浪に嘶(いなゝき)、山猫は二階にひそむ。一文の後生心は、甲に万年の恩を戴、淺草の代参りは、足と名付し錢のはたらき。釣竿を買ふ親仁は、大公望(たいこうぼう)が顏色を移シ、一枚絵を見る娘は、王昭君がおもむきに似たり。天を飛(ぶ)蝙蝠は蚊を取(ら)ん事を思ひ、地にたゝずむよたかは客をとめんことをはかる。水に船か船かの自由あれば、陸に輿やろふの手まはしあり。僧あれば俗あり、男あれば女あり、屋敷侍の田舍めける、町ものゝ当世姿、長櫛短羽織、若殿の供はびいどろの金魚をたづさへ、奧方の附づくは今織のきせる筒をさげ、もゝのすれる妼(こしもと)は、己が尻を引(き)ずり、渡り歩行(かち)のいかつがましきは、大小の長(き)に指(さ)れたるがごとし。流行医者(はやりいしや)の人物らしき、俳諧師(はいかいし)の風雅くさき、したゝるくてぴんとするものは、色有の女妓(おどりこ)と見へ、ぴんとしてしたゝるきものは、長局の女中と知らる。劔術者の身のひねり、六尺の腰のすはり、座頭の鼻哥、御用達のつぎ上下、浪人の破袴、隱居の十徳姿、役者ののらつき、職人の小いそがしき、仕事師のはけの長き、百姓の鬢のそゝけし、蒭蕘(すうぎやう)の者も行(き)薙莵(ちと)の者も來る、さまざまの風俗、色色の顔つき、押(し)わけられぬ人群衆は、諸国の人家を空して來るかと思はれ、ごみほこりの空に満るは、世界の雲も此處より生ずる心地ぞせらる。世の諺にも、朝より夕まで兩国橋の上に、鎗の三筋たゆる事なしといへるは、常の事なんめり。夏の半より秋の初まで、凉の盛なる時は、鎗は五筋も十筋も絶やらぬ程の人通りなり。名にしおふ四条河原の凉なんどは、糸鬢にして僕にも連べき程の賑はひにてぞ有(り)ける。又かゝるそうぞうしき中にも、恋といへるものゝあればこそ、女太夫に聞(き)とれて、屋敷の中間門の限を忘れ、或はしほらしき後姿に、人を押(し)わけ向へ立(ち)ま〔は〕れば、思ひの外なる顔つきにあきれ、先へ行(き)たる器量を譽(ほむ)れば、跡から來る女連、己が事かと心得てにつと笑(ふ)もおかし。筒の中から飛(び)出(づ)る玉屋が手ぎは、闇夜の錠を明(く)る鍵屋が趣向、「ソリヤ花火」といふ程こそあれ、流星其處に居て、見物是に向ふの河岸(かし)から、橋の上まで人なだれを打(つ)てどよめき、川中にも煮賣の聲ごえ、田樂酒・諸白酒、汝陽が涎(よだれ)・李白が吐(へど)、劉伯倫(りうはくりん)は巾着の底をたゝき、猩々は焼石を吐出す。茶舟・ひらだ・猪牙(ちよき)・屋根舟、屋形舟の数々、花を餝る吉野が風流、高尾には踊子の紅葉の袖をひるがへし、えびすの笑声は商人の仲ケ間舟、坊主のかこひものは大黒にて
の出合、酒の海に肴の築嶋せしは、兵庫とこそは知られたり。琴あれば三弦(さみせん)あり、樂あれば囃子(はやし)あり、拳(けん)あれば獅子あり、身ぶりあれば聲色あり、めりやす舟のゆうゆうたる、さわぎ舟の拍子に乘(つ)て、船頭もさつさおせおせと艫(ろ)をはやめ、祇園ばやしの鉦太鞁、どらにやう鉢のいたづらさわぎ、葛西舟の悪くさきまで、入(り)乱(れ)たる舟・いかだ、誠にかゝる繁栄は、江戸の外に又有(る)べきにもあらず。

 

長く引かせていただきました。全部は分かりませんが、町のにぎやかな様子だけは感じることが出来ます。このように、古典の中で登場人物がいきいきと動き、昔の人の生きた跡を垣間見ることが出来ます。それを今読むことが出来ることは、幸せなことだなあと思いました。

 

 

文字にするこわさと、それが育むもの

昨日の歩数は8396歩でした。今日は日本古典文学大系96番の『近世随想集』から「ひとりね」を読みます。帯には「新しい文学史的視点じゃら選ばれた江戸時代の代表的随筆四篇!」とあります。


まず、作者の古典を読んだ跡を見て楽しく思えた個所があります。

 

つれづれに雨にむかひて月をこひ【見たいと思い】、散ぬるはな【花】こそいとおもしろけれ。

されば赤染右衞門【平安時代の女流歌人】の家の集に、

 

一條どの【人名。その人の所へ】へ【赤染衛門の主人が】桜御覽ぜにわたらせ給ひしに【花見に行ったときに】、【私は】なやむことありて【体調がすぐれず】御供にまいらざりしかば【主人のお供に行けなかった時】、【主人が花見から】かへらせ給ひて【お帰りになって】、散りたる花を紙に包みて【私に】たまわせたりしに、【くださった時に私が歌で返事をした】

 

さそはれぬ 身にだになげく 桜ばな ちるを見つらん 人はいかにぞ
(お供をしなかったこの私さえ嘆くのですから、目の前で桜が散るのを見た人の嘆きはどれほどだったでしょう。)

 

と【赤染衛門が】よみしも【歌を詠んだのも】、あはれふかし。


すべて【一般に】人のなげくは、其恋しきものより、身のうき【自分のつらさ】に引くらべてなげくなれば、恋しき人より、まづ手前の身がかわゆしと見へたり。すがたもはなも、身を離れて【いるにも関わらず】かわゆひ【かわいいと思えることが】がまことのかわゆらしい也。

 

冒頭の「つれづれに雨にむかひて月をこひ…」の所は『徒然草』から取っているそうです。見えない月を見たいと思い、散る花に心を動かす様は、所謂風流なというか、高校でこんなことを言ったら「詩人じゃん」と言われるような内容です。私は好きです。

 

そして赤染衛門の話を引きます。眼前に無いものすら惜しむことが出来る、その気持ちに作者は共感します。

 

しかし最後に、結構シビアなことを言ってないでしょうか。結局人間嘆くといっても、相手の立場ではなく、自分の立場に置き換えて嘆くものである。それでも愛しいと思えるものが、本当に愛しいものである。私はこのような意味で取りました。風雅な文章に親しみつつも、それに現代の少しシビアな感覚を以て共感している。江戸時代の人の古典を読んだ跡を見ることが出来て、楽しく思います。

 

しかし、なかなかパンチの聞いた文章があります。

 

女郎さまにもうつくしいあり、かわゆらしい有り、あどけなき有、智惠ある有、じまんらしい有、にくてらしい有、あわれなる有、いやしき有、もつたいらしいあり、うれい成あり、おかしき顏あり。
中にて、あどけなきを第一にすべし。女郎のちゑすぎたるはいやなり。音羽といふ女郎の顏は、江戸町の花前((はなさき))に似ていやなり。「あの様ないやなはあらじ」といふに、さる人のいわれしは、「あの様に顏は見へても、心はよい女郎さま」といふ。あのかほに心がわるくば鬼也鬼也。

 

訳しません。このような感じの内容の話が、印象に残ってしまいました。もちろんこんな話ばかりじゃないのですが…(作者は多芸な方で、琴の話とか鼓の話、俳句や和歌の話もあります。耳かきの話もあります。)

 

上のような、所謂「下卑た」発言とでも言うのでしょうか、今なら炎上するかもしれない発言と言うのでしょうか、「教科書には載せられそうにない」話も結構目につきました。

 

このような話は、きっと今もどこかで誰かがひっそりと行っているような話だと思います。内容は一度置いておいても、所謂「下卑た」話をしたことが無い人はあまりいないのではないでしょうか。そういう話が楽しいと思う人もいて、聞いて気分を害される方もいらっしゃると思います。そういう「誰かを傷つけてしまう恐れのある」話し言葉はすぐに消えてしまいますが、文字にするとそれが残ってしまいます。文字にする恐ろしさを少し感じてしまいました。

 

しかしながら、例えばエロ本だって文化だと思ったりもします。春画から続く文化史を研究されている方もいらっしゃると思います。

 

私の住んでいる町の近くの駅には、「白ポスト」が置いてあって、「有害図書はこちらへ」と書いてあります。しかし、「有害」というのは白ポスト側の価値観で、立派な文化物という見方も行えるのではないでしょうか。そのような「下卑た」側面から逃れられる作品は殆どないのではないかとすら思います。

 

勿論、文字にするからには相手を傷つける可能性には最大限注意を払うべきだし、その配慮の責任は書く側に帰するものであるように思います。しかし、文章を書くという事は人間の様々な暗い思いを明るいところに引きずり出してしまうものです。そのような、見方によっては「悪いもの」を引きずり出しながら、同時に見方によっては「良い」ものもたくさん育みます。

 

すくせ【前世の縁が】いかなるゑにしにてや【どのようなものだったのでしょうか】、逢初(あひそめ)てより此かた、一時(ひととき)も此大夫のこと忘るゝ事なく、いねては【寝てはその女性が】夢にたちそひ、思へばおもかげにうつろひ、恋し床(ゆか)し、身にしみじみと、すこしそむけていねしびんのかゝり【彼女の髪の様子】、かわゆらしさの目にさへぎりて、物もくふ心地せぬはいかなる心ぞや、聞まほしけれ【聞きたいと思う】。

 

(中略)
【本当に恋人を大事にすることとは】
すべて人の見る前にて【相手が目の前にいる時に】大事にするは烏素(うそ)也。女郎の見ぬ所に【相手がいないときにも】、心底をかはらず、いくとせへても【どれだけ時間が経っても】思は石になして大事がつてやる【相手を大事に思うこと】が恋路なりとかや。
一たびいひかはせしことなどありては【一度約束したら】、首はくび、胴は胴に成とても【首と胴が分かれても】、引((ひか))ぬがよし【引かないのが良い】。

 

【信頼の大切さ】
大事の事なり。惣じて女郎さまのみにかぎらず、友だちの心安き中にても、一たびうそ【嘘】い【言】ひてはづしぬれば、其うそ【人から】一生のうち指さしをして笑るるのみならず【笑われるだけではなく】、何事によらず、「又いつものうそようそよ」といふて、誠の事もうそに成(なる)事なれば、大事といふはいか成(なる)どうらく成(なる)中にても、信の一字を忘るべからず。

 

この一途な文章も、先のような文章も、同じ人の心から出て来たものです。文字にするのは一面では恐ろしいことですが、大事なものを育む行為でもあります。どうか、安易に叩かれないことを望みます。

 

ただ、一途な思いに対する共感や、信頼の大切さを述べた上の文章には続きがあって…

 

揚屋のはらひ【そういう時の支払い】も同じ事也。一たびうそをつきまはしてふらちの事有ては、重ての時【次来た時】用られぬ事【相手にしてもらえないのは】、いくばくの損ならずや【大損ではないか】。

 

私は、誰がが書いたものをなるべく叩かず、なるべく愛せたらいいと思います。もちろん、簡単ではないのでしょうが…

 

 

 

 

 

「待ち遠しい」が待ち遠しい(『万葉集 四』より)

昨日の歩数は11107歩でした。今日は日本古典文学大系7番の『万葉集 四』です。『万葉集』は奈良時代の歌集です。
その中で、ホトトギスを詠む歌が目につきました。

 

霍公鳥(ほととぎす)を詠む歌二首

橘は 常花(とこはな)にもが 霍公鳥 住むと來鳴(きな)かば 聞かぬ日無けむ(巻十七・三九〇九)


(橘は 常に咲く花であったらなあ。霍公鳥が そこに住もうと来て鳴いてくれたら その鳴き声を聞かない日はないだろうに)

 

珠に貫(ぬ)く 楝(あふち)を家に 植ゑたらば 山霍公鳥 離(か)れず來(こ)むかも(巻十七・三九一〇)


(球に通す 楝【植物】を家に 植えたなら 山に住む霍公鳥が 離れることなくうちに来るのかなあ)

右は、四月二日に、大伴宿禰 書持(ふみもち)、奈良の宅より兄家持に贈れり


この歌は弟の大伴宿禰書持という人が、兄の家持(やかもち)に贈ったとされる歌です。


鳥の声が聴きたい、と思ったことはありますでしょうか。私は、そういうことは殆ど意識せずに生きてきました。そして特にホトトギスの声はどんな声だったでしょうか。「常に聞きたい」とか「離れることなくあってほしい」と詠むということは、実際は少ししか聞けない鳥なのでしょうか。町で生きている私にはこのような疑問が生まれます。

 

伊藤博万葉集釈注』という注釈書には、「集中【万葉集のこと】の時鳥【ホトトギス】詠は百五十五首。それを通観するに、時鳥は立夏の日になくものとされ、また、卯の花が咲く四月一日になれば鳴くはずと期待されていたけれども、里では実際にはその声を耳にすることはできず、ほとんどの時鳥詠が、声に対する期待、願望、怨恨、または、その佳き声を聞いたとする幻想の歌になっている。」(伊藤博万葉集釈注』2005年、集英社ヘリテージシリーズより引用)とあります。どうも歌を見ていく限りではホトトギスは山に住む鳥で、人里にはなかなか来てくれないように詠まれているみたいです。また、一応夏が来たら鳴くということになっている(知識の上ではそうなっている)けれど、実際はそうではなかったみたいです。

 

なんとなく土用の丑の日を思い出しました。知識の上ではあの日にウナギを食べれるという事になってはいますが、実際に食べられることは稀です。私はもう何年もウナギにありつけていません。正直、スーパーに特設コーナーが出来なければ忘れてしまいそうです。もうすぐ節分ですが、豆ならなんとか買えるかもしれません。しかし、ウナギも食べたい…


脱線しました。私のこのような感覚に対して、ホトトギスの声を聞きたいという願いのなんと美しいことでしょう。


歌集を読んでいくと、その中の季節の移ろいを見ていくことが出来ます。不思議な万華鏡をのぞき込んでいるような気分になります。春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来ます。そしてその中で人は恋をしたり、人を惜しんだりします。一度しかない光景、一度しかない心情が、言葉に移され、私たちに残されます。それを見るのがとても楽しい。

 

自分の生活を考えてみますと、私の生活の中で待ち遠しいことと言えば、好きなドラマとか、ネット漫画の更新日とか、総じて一週間単位か、長くても一か月単位のものが多いです。逆に、一年かけて楽しみな習慣と言うものは少なくなっている気がします。一週間ごとにさまざまな楽しいことが向かってきます。下手をしたら漫画アプリだと、二十三時間に一話読むことが出来ます。一週間の待ち遠しいものが、一日の待ち遠しいものに変わっています。どんどんと周期が短くなる。小さい頃はあんなに楽しみだったクリスマスとかお正月とかも、最近は静かに過ぎていく印象です。しかし、子供の頃のあの気持ちに、今戻れるでしょうか。あふれてくる刺激ではなく、素朴に心の内から湧き上がるような、「待ち遠しい」気持ちが、今は待ち遠しいかもしれません。

 

例えばふっくらした雀に会いたい。年中雀には会えますが、夏のスマートな雀も好きですが、あの愛らしいふっくらフォルムの雀には、そういえば寒い時期にしか会えないよなあ、と思いました。あとは月並みですが、桜とか紅葉とかですかねえ。

私のいとこが金木犀の咲く時期になると、「この花にお前はこれでいいのか?と言われてる気がするんだ」といつも言っていましたが、それも年に一度の楽しみ?です。

そんな待ち遠しいことを探して、町を歩いてみようかと思いました。