言葉のコトは物事のコト[事]と関わると考えられる。言葉を読むことで心象の中に言葉で読まれた事が再現される。心象の中に話を絞れば事態の再生産である。
現実は不安定で揺れ、変質しやすい。それに対して言葉は一度保存されると、解釈の次元では揺れるものの、書かれている言葉の並び事態は(現実に比べて比較的)保存される。つまり好きな出来事が書かれている物語は、読む度に同じ事態が起こる。もちろん絶え間なく変質する現実を分析し対処する行為自体は尊重されるべきものである。しかしだからといって、現実に対して感じる心の苦しさを無化しても良いのだろうか。時には現実とは別の事態を想像し、現実と比較し、また自身の心の安定を図ることにもそれなりの価値があるだろう。それが言語行為である物語の価値である。
そして物語は以前の物語を資材として生産されるものである。古典文学の作品それ自体を読んで楽しむことにも魅力があることは確かであるが、同時に現在物語を造る人に対してそれらの「資材」を読みやすい形で提供することにも大きな価値がある。そこから生まれた物語が読んだ人の心を和ませるのであれば、間接的にはあるが積極的な方向で、心の平穏をもたらす方向に働くことができる。
また同時に、言葉が相手に対する力を持ち続けるあり方について自覚することで、その力が悪い方向にも働きうることに対しても自覚的になる。短絡的ではあるが、言葉で相手を傷つけることが減れば、消極的に平和に関わることができる。
そのように積極的にあるいは消極的に言葉が心の平穏をもたらす作用に関わることが私の望みである。