「なぜ私はここにいるんでしょう」(村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』)

 60歳を過ぎてから親の過去について振り返られておりました。この本を読んで、「なぜここに私がいるのだろう。」ということを考えました。もう少し詳しく言うと、「なぜ父と母は出会ったのだろう」ということです。

 私の父から聞いた話によると、私のひいおじいちゃんは船を持って居て、オリンピックが開けるような家に住んでいたのだけれど、戦争のごたごたで船を失ってから没落して、山小屋に住んでいたということです。(全く信じてはおりませんが)私のおじいちゃんはそれで山小屋に長い間住んでいたので、スズメバチ素手で捕まえることも出来るし、外での遊びにはとても馴れていたそうです。(これは本当です)また父の地元にはその苗字の名を冠した橋や石碑が立っているみたいです。(これも本当です)

 また、私の父の母は満州から引き上げて来たそうです。そんな私の父の父と母が戦後のごたごたの間に出会い、結婚した結果として父がおり、その結果私がいるということでした。「戦争」は意外に身近なところにあったのだなと改めて思いました。

 なぜ私はここにいるのでしょうか。それは偶然でしょう。私が居なかったら、その場所に別の誰かがいたのでしょう。その場合は私はどこに居たのでしょうか。同じ見た目や中身の人はどこにも存在しなかったのでしょう。そしてそれは当然私だけではなく、あなたについても同じことが言えるのでしょう。それを考えると、本当に、不思議な気持ちになります。

 その一点だけを考えるのなら、私はここに居てもいいのでしょう。というより、居なくてもともとだったのでしょうから、何かをしなければならないという事は無いのでしょう。いるだけで大分幸せなことなのでしょう。なんだかそれでいいんだろうなあと、そう思いました。「なぜ私がここにいるのか」や「何故父と母は出会ったのだろう」ということについて、通勤時間にでも(スマホを見る代わりに)考えてはいかがでしょうかと、そう思いました。