詩の授業の構想①
和歌や詩を高校生にどう教えるかについて、少し疑問に思いました。今回は今後のために、覚書程度に書いてみます。
言葉が難しい場合、まず「何が書いてあるか読み取る」時間が必要かなあと今日思いました。次に、書いてあることから「何を感じるか」を文章化してみるという時間があるといいかなあと思います。
「何が書いてあるか読み取る」時間では、設問を用意して、その設問に答えることが出来るかを基準に、「読み取れているか」を判断します。
「登場人物は?」とか、「どんな技法が使われている?」とか、「この言葉の(辞書的な)意味は?」とか、まず共通の認識を作る時間があるといいかなあと思います。
「何を感じるか」の時間では、まず自分の意見を文章化する時間が必要です。文章化する方法や技術も求められると思います。(私も苦手なのですが)
そして、感じたことを人と話してみる時間があると良いのではないかと考えました。人の意見を聞き、その理由を考えます。また、相手に分かるように話します。
となると、最後に人の意見を踏まえて「考え直す」「書き直す」時間が求められるのでしょう。
以上、「何が書いてあるか読み取る」「感じたことを文章化する」「人と話す」「考え直す」という構成が頭に浮かびました。
この中で教師が介在することは何でしょうか。
「何が書いてあるか読み取る」際には、教師は必要な知識を教えていかなければなりません。
「感じたことを文章化する」際には、生徒が自分の考えを書き出し、それを構成することが出来るような、「触媒のような」手助けをしなければなりません。
「人と話す」際にはそのような場を設ける(人と話す時ってだいたいストレスがたまるような気がします。)ことが必要です。また、先生もその話し合いに混ざれたら理想なのですが。
「考え直す」際には、教師は何が出来るでしょう。更に生まれた疑問に答えたり、或いはほっといたりでしょうか。
一般論だけですが、現段階で詩の授業の構成には上のようなイメージがあります。
問題点として、生徒が関心があるのは「何が書いてあるか読み取る」ための技術、受験に必要な技術だけなのではないか、という懸念が私の中にあります。或いは、一切興味がないかもしれません。
生徒の興味を引くにはどうしたらいいのか。また、そもそも何故詩を学ばなければならないのか。機会を改めて考えてみたいと思います。