為朝、転生。(『椿色弓張月 上』より)

昨日の歩数は20860歩でした。今日は日本古典文学大系60番の『椿色弓張月 上』です。江戸時代、滝沢馬琴の読み本です。コミックみたいな展開をしていました。
主人公は平安時代の武士、源為朝です。為朝はまだ十五歳にも満たない時から弓の達人でした。ある日に、天皇お付きのお偉いさんである信西上皇から、昔と今の弓の達人は誰かと聞かれます。信西は、

 

「本朝(ほんちやう)【日本】その人【弓矢の達人】にとぼしからずといへども、吉備臣(きびのをみ)尾越(をこし)、盾人宿禰(たてひとのすくね)、この二人に不如(しかず)候はん【この二人に並ぶ者はいないでしょう】」

 

 


また今の世では

 

「安藝守清盛(きよもり)、兵庫頭頼政(よりまさ)、いづれも覚(おぼえ)【弓の腕前】あるものに候」

 


と答えます。清盛は怪鳥を射落としたという話があります。また頼政は鵺と呼ばれる物の怪を弓で射落とした伝説がある人です。すると、その選に漏れた源為朝は怒り出します。

 

【為朝】「足下(そこ)【信西】は文章の事にこそ賢かるべけれ【賢いのでしょう】。弓矢の事は爭(いかで)しり給はん【どうしてご存じでしょうか。ご存じない。】。所詮誰彼といはんも【いう事も】無益し【意味がない】。凡(およそ)今の世に弓矢をとりて、百万の強敵を退(しりそけ)ん事は、為朝が右に出んもの、あるべうも覚候はず【あるとは思われない】」

 

すると信西は、若造が何を言うかと、カチンと来てしまいます。

 

「われ彼(かれ)を射ん【射よう】と欲せば、彼(かれ)も又我を射るべし【射るだろう】。「よく射ものは又よく防ぐ」といへり。今こゝろみに【為朝が】矢を取るべきか【防ぐことが出来か試してやろう】」 


弓上手は、弓を防ぐこともうまいと聞くから、お前が弓に射られて無事でいられるか試してやろう、もし弓を取れたら、私の首だろうがくれてやろう。そういう恐ろしい展開になります。躊躇する兵士に信西は催促し、いよいよ矢が放たれようとします。

 

信西端ちかく立出て、「とくとく」と催促す。
二人【兵士】も今はせんすべなく、予(かね)て二の矢あるべしと定められたれば、矢二条(やふたすぢ)を手挾みて立むかへば、君はさら也、当座の人々手に汗を握り、今の為朝が命は、日影(かげ)まつしら露よりもなほ消やすかるべしと思ひ居れりける。かくて式成(のりしげ)【兵士】弓に矢つがひ、満月のごとく引しぼり、矢声をかけて切(きつ)て発つを、為朝雌手(めて)に丁(ちやう)と取る。程もあらせず則員(のりかず)【兵士】がはなつ矢、胸下ちかく飛來るを、是をも雄手(ゆんで)に受とめたり。

こは射損(いそん)ぜし朽(くち)をしさよ。縦射(たとひい)ころすまでに至らずとも、やはこの度(たび)は取れじと、両人【二人の兵士】斉(ひと)しく引しぼり、しばし透間(すきま)を窺て、よつ引ひょうと発つ矢を、一条(ひとすぢ)は袍(はう)の袖に縫留(ぬひとめ)させ、又一条(ひとすぢ)は取るに間(いとま)なければ、口もて楚(しか)と食留(くひとめ)しか、忽地(たちまち)鏃(やじり)を囓碎(かみくだ)きつ。その疾(とき)こと陽炎(かぎろひ)の登(のぼ)るがごとく、雷電(いなづま)の閃(ひらめく)に似て、人間技ともおぼえねば、これを見るもの醉(えへ)るがごとく、嘆賞(たんせう)あまりて声だに得揚(えあげ)ず。

 

読んでいて、「俺ツエ―」系の転生話を思い出しました。この平安時代の為朝は鎌倉時代の軍記物語である『保元物語』でも主人公をはります。そこで最後は戦いに敗れ、伊豆に配流になります。しかし江戸時代の『椿色弓張月』になると、その為朝が更に琉球にわたり、更に切った張ったの大活躍…(とあらすじに書いています。まだそこまで読んではいません。)これは主人公が「転生」している様子なように思います。
今の私たちにとって、為朝はそこまで身近な人物ではないように思います。しかし鎌倉、江戸と人々が為朝を語り継ぎ、転生させ、活躍させるように、今の私たちも例えば「ドラゴンクエスト」(これもやったことありませんが…)のような、「誰でも知っている」物語を基盤に、主人公を転生させ、また活躍させているように思います。(最近の異世界転生もの)

あの話の続きが読みたい、あの世界に入ってみたい、そう思うのは今も昔も一緒なのではないかと、そう思いました。