高校生に和歌を教えるために①立春の歌

春立つと いふ許(ばかり)にや みよしのの 山もかすみて けさは見ゆらむ

【訳】

春が立ったというだけで、吉野の山も霞んで、今日は見えるのだろうか。

【注釈案】

・「いふ」は「言う」ですね。(文中のハ行「ふ」はワ行(ワイウエオ)の「う」に直します。
・【音読】
はるたつと いうばかりにや みよしのの やまもかすみて けさはみゆらむ
・「春立つ」は「立春」のこと。「暦の上で春に入る日。太陽暦で二月四日ごろ。」(全訳古語辞典)。二月四日ってまだ寒いですよね。
・「ばかり」は色々意味がありますが、今回は「限定」(だけ)で取ります。
・「みよしの」は「吉野」。「み」は接頭語(自立語の上に付く言葉。「御社」の「御」とか。「み」はいい意味を表します。)奈良県の山です。桜で有名ですが、雪が深い山奥というイメージもあります。
・「見ゆ」は「見える」ということ。
・「らむ」は現在推量の助動詞です。「見ゆらむ」で「見えるのだろうか」と訳しました。
・霞は「立春になるとともに「立つ」のが霞という把握が一般化」していた。(全訳読解古語辞典)

 

【高校生に教えるには】
〔基本〕
・まず歴史的仮名遣いをすらすら読めるようにする。
・「ばかり」「見ゆ」の意味を伝える。できたら他の使い方も。
・助動詞「らむ」の訳し方を伝える。
〔応用〕
立春が暦の上では春でも、実際に見える景色はまだ冬なんだよ、ということを伝える。
・また、霞が春の季語で、春になると霞が立つという意識があったということを伝える。現代で言うところの比喩は何か?

 

【感想】
・初回という事もあり、難しい。
・今を生きている分には、暦を意識することはあまりありません。(祝日を意識することはあります、休みになるから。)しかし、そういう意識をもって自然を見ることで、見え方が変わってきます。吉野山は依然として雪深いですが、その雪が春に発生する霞のように見え始める。そこに、春の訪れを待つ気持ちというものが見えるのかもしれません。そのような意識は、私たちにはあるのでしょうか。考えてみたいと思いました。