遠のく奇跡と変わる現実(『日本書紀 下』より)

昨日の歩数は9668歩でした。今日は日本古典文学大系68番の『日本書紀 下』を読みます。


聖徳太子の説話が目に留まりました。『日本書紀』の推古天皇の条の中には、いくつも有名なエピソードが書いてあります。

 

皇后【聖徳太子の母】、懷姙開胎(みこあれま)さむとする日【出産しようとする日】に、【皇后は】禁中【天皇の住まい】(みやのうち)に巡行(おはしま)して、【皇后は】諸司(つかさつかさ)を監察(み)たまふ【視察してまわった】。


【皇后は】馬官【馬を育てる職】(うまのつかさ)に至(いた)りたまひて、乃(すなは)ち廐(うまや)【馬を育てるところ】の戸に當(あた)りて、【皇后は】勞(なや)みたまはずして忽(たちまち)に産(あ)れませり【出産した】。


【その生まれた子(聖徳太子)】生(あ)れましながら能(よ)く言(ものい)ふ。聖(ひじり)の智(さとり)有り。


壯(をとこさかり)【青年になると】に及(およ)びて、一(ひとたび)に十人の訴(うたへ)を聞きたまひて、失(あやま)ちたまはずして能(よ)く辨(わきま)へたまふ。兼(か)ねて未然(ゆくさきのこと)を知ろしめす。且(また)、内教(ほとけのみのり)【仏教】を高麗(こま)の僧(ほふし)慧慈(ゑじ)に習ひ、外典(とつふみ)【儒教の経典】を博士(はかせ)覺哿【すみませんよくわかりません】(かくか)に學(まな)びたまふ。【聖徳太子は】並(ならび)に悉(ことごとく)に達(さと)りたまひぬ。


父の天皇、愛みたまひて、宮の南の上殿(かみつみや)に居(はべ)らしめたまふ。故(かれ)、其の名を稱(たた)へて、上宮廐戸豐聰耳太子(かみつみやのうまやとのとよとみみのひつぎのみこ)と謂(まう)す。

 

馬房で出産した、生まれながらに良く話す、一度に十人の話を聞く、すぐに難解な書物を理解していく…改めて読むとすごいと思います。『日本書紀』には他にも十七条の憲法も載っています。

 

しかし、すごいことは分かるのですが、いまいちどうすごいのか説明しにくいなあと思ったエピソードもあります。

 

聖徳太子が片岡山という場所(奈良県の葛城のあたりと言われています。)で、飢えた旅人に出会うという話です。

 

まず、飢えた旅人を想像することが、私には少し難しいというのが本音です。私自身は生活の中で、本当に飢えたという経験はありません。外食は贅沢なので家で白ご飯に天かすをかけ、醬油を垂らして食べることが出来ます。気が向けばラーメンか、ラーメンは高いにしてもコンビニでブラックサンダーを食べることも出来ます。正直に言って、飢えた旅人という状況を想像するには、私は恵まれているように思います。このような話を偉そうに紹介することは本来できないことかもしれません。古典を読むときに「生活様式の違い」が難しいと思うのですが、このような現実は今もどこかで起っていることかもしれません。そのような出来事の存在を認識しなければならないような気が、読んでいて起こりました。


話がそれましたが、聖徳太子は片岡山で飢えた旅人に出会うという場面です。聖徳太子はその旅人を哀れみ、飲食物や衣を与えて歌を詠みます。

 

十二月の庚午(かのえうま)の朔(ついたちのひ)【日付】に、皇太子(ひつぎのみこ)【聖徳太子】、片岡に遊行(い)でます。時に飢者【飢えた人】、道(みち)の垂(ほとり)に臥(こや)せり。

 

仍(よ)りて【皇太子たちは】【飢えた人の】姓名(かばねな)を問ひたまふ。而(しか)るに【しかし飢えた人は】言(まう)さず【名前を言わなかった】。皇太子、視(みそなは)して飮食(をしもの)【食べ物と飲み物】與(あた)へたまふ【飢えた人に与えた】。即(すなは)ち【皇太子は】衣裳(みけし)を脱きたまひて、飢者に覆(おほ)ひて言(のたま)はく【言う事には】、「安(やすら)に臥せれ」とのたまふ。則(すなは)ち【皇太子は】歌(うた)ひて曰(のたま)はく、

 

しなてる【枕詞】 片岡山に 飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人あはれ
親無しに 汝(なれ)生(な)りけめや【親無しで育ったのか】
さす竹の【枕詞】 君(きみ)はや無き【優しい恋人はいないのか】
飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人あはれ

とのたまふ。

 

「親無しに 汝(なれ)生(な)りけめや さす竹の 君(きみ)はや無き」と旅人の境遇を思いやる聖徳太子の言葉は、実際の状況を克明に想像することはできませんけれども、それでも聞いていてしみじみとしてしまいます。言葉の力というやつでしょうか。


しかし、この話には後日談があります。実は聖徳太子が出会った旅人は、ただの人では無かった、という内容です。

 

辛未(かのとのひつじのひ)に【後日】、皇太子、使(つかひ)を遣(つかは)して飢者(うゑたるひと)を視(み)しめたまふ【様子を尋ねさせた】。使者(つかひ)、還(かへ)り來て曰(まう)さく【いう事には】、「飢者、既(すで)に死(みまか)りぬ」とまうす。

 

爰(ここ)に皇太子、大きに悲びたまふ。則ち因りて當(そ)の處(ところ)に葬(をさ)め埋(うづ)ましむ【旅人を埋葬させた】。墓(つか)固封む【口を固くふさいでいた】。

 

數日之後、皇太子、近く習(つかへまつ)る者(ひと)を召して、謂(かた)りて曰はく【側近に言うことには】、


聖徳太子の言葉】「先の日に道に臥して飢者、其(そ)れ凡人(ただひと)に非(あら)じ【ただの人ではないだろう】。必ず眞人(ひじり)【仙人、が近い】ならむ」と
のたまひて、使を遣して視しむ【使いに様子を見させた】。是(ここ)に、使者(つかひ)、還り來て曰さく、


【使いの報告】「墓所(つかどころ)に到りて視れば、封(かた)め埋(うづ)みしところ動(うご)かず【入口の封はされていた】。乃(すなは)ち【封を】開きて見れば、【旅人の】屍骨(かばね)既(すで)に空(むな)しくなりたり【遺体は既に消えていた】。唯(ただ)【聖徳太子が貸した】衣服をのみ疊(たた)みて棺の上に置(お)けり【置いていた】」とまうす。是(ここ)に、皇太子、【報告を聞いて】復(また)使者を【片岡山へ】返(かへ)して、其(そ)の衣を取らしめたまふ【衣を取らせてきた】。常の如く【いつもどおり】且(また)服(たてまつ)る【その服を着た】。

 

【時の人の驚き】時の人、大きに異(あやし)びて曰はく【いう事には】、「聖(ひじり)の聖を知ること【聖人は聖人を知るという事】、其れ實(まこと)なるかな【本当なんだなあ】」といひて、逾(いよいよ)惶(かしこま)る。

 

飢えた旅人は実は仙人というか、聖人というか…とにかく特別な人だったのです。そしてその遺体は墓から忽然と消えて、着物だけがたたんで置いてありました。誰がその衣をたたんだのでしょう…そして聖徳太子はそれを見抜いていたということが、更に太子の評判を高める。そういうお話だったかと思います。

 

この話を読んでいて、まず私は素直に「太子はすごいなあ」と思いました。それと同時に、「遺体が消える」なんてマジックみたいだなあと思いました。私には、「遺体が消える」ことがどのような意味を持つのか、何故すごいのか、明確に説明することが出来ませんでした。


もちろん、すごいことは分かります。口を封じていた墓から遺体が消え、着物が畳んであった。理屈で考えてすごいことが起きています。だから、マジックみたいだなと。
私は今まで火葬の文化で育っています。その私にとって、遺体が消えるということがどのような価値を持つのか、必ずしも分かりやすいものとは言えないみたいです。


同じような感覚を『カラマーゾフの兄弟』でも感じたことがあります。ゾシマ長老という偉大な聖職者の遺体が腐り、その弟子であり主人公のアリョーシャが動揺するという場面があります。複雑な心なのでなかなかうまく説明が出来ませんが、偉大な聖職者の遺体には奇跡が起こるはずで、遺体が腐るということはあり得ないという「迷信」が、動揺を与えたという説明が、一応は与えられるかと思います。そして、その「奇跡」がどのような価値を持つのか、私にはよく分かりませんでした。

 

日本書紀』のこの場面の場合は、「遺体が土の中で腐っているはず」という現実に対し、「遺体が消える」という奇跡が起こります。それに対して『カラマーゾフの兄弟』の中では「奇跡が起きるはず」という期待に対し、「遺体が腐る」という現実が起きます。


ただし『カラマーゾフの兄弟』の場合は、その奇跡は「ありえない」という考えも示されます。ラキーチンという人物の台詞に、「呆れたもんだ、この節では十三歳の中学生だってそんなことは信じちゃいないぜ」というようなセリフも出てきます。(原卓也訳『カラマーゾフの兄弟』(中)新潮文庫、昭和53年より引用)『カラマーゾフの兄弟』では、ラキーチンの頭の中では、理想(それがどのような理想かわかりませんが)は現実に追いやられているようです。私の頭の中でも、知らず知らず同じことが起こっているのかもしれません。しかし、その「現実」もまた、すごいスピードで変わっていきます。「飢えた旅人」がどのような思いを持っていたか考えることは容易ではありません。また、奇跡に驚いた聖徳太子の周りの人や、現実に失望?したアリョーシャの驚きを知ることも、また容易ではないなあと思いました。

 

国語のゲームブック(『プルーストとイカー読書は脳をどのように変えるのか?』より)

メアリアン・ウルフ『プルーストイカー読書は脳をどのように変えるのか?』(小林淳子訳、インターシフト、2008年)という本の中で、「マタイ効果」という言葉が出てきました。


「読字学者キース・スタノヴィッチは、豊かな者はいっそう豊かになり、貧しいものはいっそう貧しくなるという、読字発達と語彙の建設的にも破壊的にもなりうる関係を説明するのに、聖書から借用した「マタイ効果」(訳注:新約聖書『マタイによる福音書』第十三章十二節―おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう―)と言う表現を使った。」


私に要約すると、語彙が発達した子供はその知識をもとに更に多くの語彙知識や文法知識を獲得していくのに対し、発達していない子供は語彙が発達しない、というようなことらしいです。


読んでいて、国語の集団授業ってたしかにそのような側面があるのではないかと思いました。分かる人はどんどんと知識を獲得していきますが、分からない人は分からないことで更に分からなくなる。


漫画『ブルーロック』にフローという考え方が出てきました。自分よりあまりにレベルの高い挑戦には不安になり、自分より少しレベルの高い挑戦には熱中できる、という考え方です。


注意したいのは、国語の場合、成長が不可逆的なところがあるような気がする点です。かくし絵で一度隠された絵柄を見つけたら見つけられなかった時には(すぐには)戻れなくなるように、文章は一度文意を理解したら、理解できなくなった状態には戻りにくくなるというか、その時のことを忘れてしまいがちになるように思います。仮名文字の読み方を再び説明されても退屈なように、もう分っている部分の説明が退屈になりやすいのではないでしょうか。「分からないなあ」という生徒と、「退屈だなあ」と思っている生徒の間に、有意義な時間を過ごせている生徒がいるように思います。

 

教師の困難としては、自分が「分からなかったところ、つまずいたところ」を思い出さなければならない点がまずあります。そして、教室の中にもいろいろな生徒がいて、どこを説明しても全体が有益な時間を送るという事は難しいという点にあります。しかも国語の場合は教材によっても分かるものと分からないものがありえます。生徒の理解力を診断することも、安易には行えません。


以上の事を考えたときに、果たして一対多という集団授業が生徒の読解力を向上させるのに適しているのか?という疑問が浮かびました。退屈させない授業のためには一対一の方が望ましいのではないか、と疑問に思いました。しかし、コストの問題があります。


そのようなことを考えたときに、子供の頃にゲームブックにはまっていたことを思い出しました。ゲームブックは、ページごとに課題が書いてあって、その課題を成功したら10ページへ、失敗したら7ページへ」という風にページをめくっていき、ゴールを目指すという本です。


例えば国語の問題で、漢字の読み方とか、言葉の意味とか、指示語の意味とか、主語が誰かとかの基本的な問題を次々に書きだしていきます。他にもキーワードは何かとか、筆者が何と何を比較しているかなどの問題を書きだしていきます。そしてどんどんとレベル別に並べて行って、最後は他の文献と比較した4000字の論考(『暗殺教室』の言う「問(もん)スター」のような問題)まで、基本的な問題から発展的な問題まで取り揃えます。問題間のフローチャートを作り、間違えたら基本的な事項に戻れるようにします。国語の問題なのですから、面白いストーリーがついていてもいい。そういうゲームブックを作り、生徒に配布し、解いてもらうという方法があるのではないか、と思いました。それなら、大半の生徒は自分より少しレベルの高い問題を発見し、取り組むことが出来るのではないでしょうか。


問題としては、生徒同士が孤独な作業になるかもしれないという点と、教材作成が大変と言う問題があります。製本の問題もありますが、今の時代ならデータで配布と言う手もあるかもしれません。また、複数の教師がチームで教材を作り、現場がそれを使うという方法もあります。現場の先生はスケジュールを組んで、生徒と対面で一緒に問題に取り組み、アドバイスをしていく。それなら学生のアルバイトも使って人数を増やして行うこともできるかもしれません。


問題は色々あると思うのですが、今度試作してみたいと思いました。

 

舗装された道の先(「蘭東事始」から)

昨日の歩数は18995歩でした。今日は日本古典文学大系95番の『戴恩記 折たく柴の記 蘭東事始』から「蘭東事始」を読みます。帯には「日本の古典の中で特異な光彩を放つ自伝文学の傑作!」とあります。「蘭東事始」は近世の杉田玄白の自伝です。

 

杉田玄白たちがオランダ語を学習する困難が書かれています。杉田玄白がオランダ人に会いに行こうとしたときに、当時のオランダ語の通訳の人に言われた言葉です。

 

「それ【オランダ人に話を聞くこと】は必ず御無用【やっても仕方がない】なり。夫(それ)は、何故となれば【なぜかというと】、彼辞(かのことば)【オランダ語】を習ひて理会(りかい)するといふは至て難き事なり【とても難しい】。

 

【以下、言語を学習する難しさ】たとへば、湯水又酒を呑(のむ)といふかと問んとするに、最初は手真似にて問より外の仕かたはなし。
【手真似で聞く例】酒をのむといふ事を問んとするには、先(まづ)茶碗にても持添、注ぐ真似をして口につけて、「これは」ととへば、なづきて、「デリンキ」と教ゆ。これ即ち呑む事なり。

 

【手真似では聞けない例】扨(さて)、上戸と下戸とを問ふには、手真似にて問べき仕(し)かたはなし。これは、数々のむと数少く呑にて差別わかる事なり。
されども、多く呑ても酒を不好人(このまぬひと)あり、又、少く呑ても好人(このむひと)あり。是は、情の上の事なれば、為すべきやうなし。

 

オランダ語で「好き」をどう言うか】扨(さて)、好き嗜(たしなむ)といふことは「アヽンテレツケン、といふなり。我身【その通訳の人は】通詞【通訳】の家に生れ、幼より其事【外国語】に馴居ながら、其辞(そのことば)【アヽンテレツケン】の意何にの訣(わけ)といふ事を知らず。年五十に及んで、此度の道中にて、其意を始て解得(ときえ)たり。

 

【通訳の語釈】アヽンとは、元(も)と向ふといふ事、テレツケンとは引事なり。其向(むか)ひひくといふは、向ふの者を手前引寄(ひきよす)るなり。酒好む上戸といふも、むかふの物を手前へ引度(ひきたく)思ふなり。
即ち好むの意なり。」

 

新しい言語に接するのに、手真似で聞けることとそうではないことがあると通訳は語ります。その時のたとえ話として酒の例を出しているのが面白いです。南方熊楠が新しい言語を覚える時に酒場に行っていたという話を思い出しました。他にも留学した人から聞いたところでは、留学先では毎日が新しい言語とのサバイバルで、そこで生き抜けば語学力がついてくるんだ、と言っていたことを思い出しました。

 

そして、「アヽンテレツケン」の語を理解するのに、「語源で覚える英単語」のようなことがされていて驚きました。高校の頃受けた模試で知らない英単語が出てきて、「isで単語が終わっているからきっと何かの病気なんだ、何かは分からないが何かの病気なんだ」と言い聞かせながら解いた記憶がありますが、そういう事も昔から行われていたんだなあ、と思いました。語構成に注目して語釈をしていくという考え方はいつごろからあるのでしょうか。

 

そして杉田玄白も、オランダの医学を学ぶためにオランダ語を学習していきます。その中のエピソードです。玄白は「フルヘッヘンド」という言葉の意味が知りたいと思います。

 

又、ある日、鼻の所にて、「フルヘツヘンド、せし物あり」とあるに至りしに、此語分らず。是はいかなる事にてあるべきと考合しに、いかにともせん様(やう)なし【どうとも分からなかった】。

其頃はウヲールデンブック【辞書?】といふものもなし。よふやく【ようやく】長崎より良澤【玄白の仕事仲間が】求め帰りし【買って帰った】簡略なる一小冊【簡単な辞書】ありし【あったのを】を【玄白が】見合たるに、フルヘツヘンドの釈註【説明】(しやくちゆう)に、

 

【辞書の説明】「木の枝を断チ去れば其迹(〈アト〉)フルヘツヘンドを為(な)し【フルヘッヘンドしていて】、
又、庭を掃除すれば、其塵土(ぢんど)聚(あつま)り、フルヘーヘンド」すといふ様に読出(よみいだ)せり【読めた】。

 

【玄白達は】これはいかなる意義なるべしと、又、例のごとくこじつけ考ひ合(あ)フに、辨(わきま)へかねたり【分からなかった】。時に、翁【玄白】思ふに、

 

「木の枝を断りたる跡(あと)【その枝の傷が】愈(いゆ)れば堆(うづたか)くなり【盛り上がってきて】、
又、掃除して塵土(ぢんど)あつまれば、これもうづたかくなるなり。
鼻は面中にありて、堆起(たいき)せるのなれば、
「フルヘーヘンド」は堆(〈ウヅタカシ〉)といふ事なるべし。しかれば、此語は堆(うづたかし)と訳しては如何」と【玄白が】いひければ、各(おのおの)【仕事仲間】これを聞(て、

 

「甚(はなはだ)尤(もつとも)なり。堆(うづたかし)と釈さば、正当すべし」と決定せり。其時の嬉しさは、何にたとへんかたもなく、連城の玉をも得し心
地せり。如此事にて、推(おし)て訳語を定めり。

 

とあります。苦労して長崎から買ってきた辞書にも「フルヘッヘンド」に対するわずかな説明しかありません。もちろん日本語では意味が書いていません。そこで、「鼻、木を切った跡、掃除をした後」という共通点から「推し量り」、「堆(うづたかし)」という訳を導き出します。

 

このエピソードを読んで、これくらい体当たりで知らないことに向き合ったことが何度あっただろう、ということを考えました。今ではたくさんの辞書がありますがそれすら引かず、日ごろの簡単な調べ物はネットで済ませてしまうこともあるくらいです。しかしそれらは誰かが整備してくれた道でしかないのかもしれないと思いました。そこから得られる感動は、この玄白の感動と比べてどうなのだろうか、と思います。玄白も今生きていたら辞書を引くに違いないとは思いますが、そうしたらきっとその先の楽しいところに行くのではないでしょうか。簡単に調べられることや本やネットに書いてあることは誰かが通ってきた道にしかすぎず、その舗装された道はどんどんと延びていきます。早くその限界の所に行きついて、「フルヘッヘンドフルヘッヘンド」とつぶやきながら鼻を見たり庭先をうろうろしたりしたいと思いました。その先に、もっと楽しいことが待っているのではないか、そう思いました。

論理を越える「芸の力」(『謡曲集上』より)

昨日の歩数は16842歩でした。今日は「日本古典文学大系」42番の『謡曲集上』から狂言「末広がり」を読みます。帯には「簡素雄勁な演技による、古雅な笑いの舞台芸術!」とあります。狂言は中世の舞台芸術です。

 

時:中世

登場人物:果報者(主人)、太郎冠者(主人のお使い)、詐欺師

です。

 

果報者という人(主人)が来客への贈り物が欲しいからと言って、太郎冠者(お使い)に「末広がり」を買ってくるようにとお使いに出します。しかし、太郎冠者は「末広がり」が何かわかっていません。そこで主人が「末広がり」を説明します。

「末広がり」とは何でしょうか。果報者の注文内容を聞いて想像してみてください。

 

「まず第一 地紙(じかみ)よう【良く】、骨にみがきをあて、かなめもと しっととして【しっかりして】、ざれ絵【おもしろい絵】ざっとした【さらっとしたもの】を求めてこい。」

 

分かりましたでしょうか。かなりアバウトな注文です。狂言は口語(昔の話ことば)で書かれていて、「良く」が「よう」になっています(ウ音便)。そして「しっとと」とか「ざっと」とか、「音が面白い」形容詞が良く出て来る印象です。

 

少し脱線しましたが、「末広がり」とは扇の一種で、先が広がった扇の事を言います。扇は紙を使いますが、その紙が良いものを指定しています。また扇の要もしっかりしたものを求めています。扇には絵が描いてありますが、「ざれ絵」が描かれてあるものと絵柄を指定してます。扇を使う機会は現代ではあまりないので、イメージが付きにくいところがあるかもしれません。古典を読むときに、生活様式の違いがある時が少し難儀するところになるかもしれません。

 

さて、「末広がり」のあらすじに戻ります。太郎冠者は果報者が言う特徴を頼りに、「末広がり(先の広がった扇)」を町に買いに行きます。そこに、おろおろする太郎冠者に目を付けた詐欺師が現れます。詐欺師は太郎冠者をうまくだまして、手持ちの「傘」を高値で買わせようとします。


詐欺師 【閉じた傘を見せ】これが末広がりでおりゃる【ございます】。

太郎冠者これへ【私に】下されい【ください】。

詐欺師心得た。

太郎冠者【傘を見て】ハハアこれが末広がりでござるか。

詐欺師不審 もっともな【疑問はもっともです】。ただいま末広がりに成(な)いて【成りて】見しょう。これへ【こちらへ】おこさしめ【貸してください】。

太郎冠者心得ました。

詐欺師【傘を広げながら】ソリャソリャ、ソリャソリャソリャ。何と末廣がりになったではないか。

太郎冠者まことに末広がりになりました。それに ちと好み【主人が言いつけた条件】がござる。

詐欺師それはいかようなお好みじゃ。

太郎冠者【主人が付けた条件を言う】まず第一地紙よう、骨にみがきをあて、かなめもとしっととして、ざれ絵ざっと致いたを求めとうござる。

詐欺師これはむつかしいお好みじゃ。さりながらお好みも、ことごとく合(お)うておりゃる。

まず第一 地紙ようとはこの紙のこと。よい天気に、よい紙をもって張ったによって、はじけばこのごとく、こんこん致(ニた)す。

また骨にみがきをあててというも、この骨。ものの上手(じヨうず)がとくさ・むくの葉をもって、七日七夜(なぬかななよ)みがいたによって、撫(な)ずればこのごとく、すべすべ致す。

またかなめもとしっととしてというも、このかなめのこと。これをこう致いて、いずかたまで持って參っても、ゆっすりとも致さぬ。またざれ繪というは、そなたのおしゃりようが悪(あ)しい。いずかたへ御進上(ごしんじヨう)なさるる【人にあげる】とあっても、この柄(え)でざれて【ふざけて】つかわさるるによってのざれ柄、かまえて絵のことではおりないぞ。


「末広がり」という名前には、傘も先が広がり「末広がり」になると答えています。地紙が良いという条件には、この傘も地紙がいいと答えています。要が良いという条件には、傘の骨が良い骨を使っていると答えています。ざれ絵が描いてあるという条件には、傘の「柄」でふざけるから「ざれ柄」と言うのだ、だからこの傘でいいのだ、と答えています。けっこう理屈っぽいですね。今でも勘違いは良くコントのネタになりますが、昔から勘違いは笑いの種だったのでしょうか。

 

結局太郎冠者はまんまと騙されて傘を買い、果報者に渡します。「ざれ絵」の言い訳は結構強引だったと思うのですが…見ている観客は面白いのですが、果報者はそうではありません。扇を注文したのに間違えて傘を買ってきてしまった太郎冠者に怒りだしてしまいます。しかし、太郎冠者には奥の手がありました。実は詐欺師から、ご主人の御機嫌を損ねたときの対策を教わっていたのです。(詐欺師のアフターサービスでしょうか。どんなアフターサービスだ)

 


詐欺師 その【ご主人の】御機嫌の悪しい時、御機嫌の直(なお)る 囃子物(はやしもの)がある。それを【太郎冠者に】教えておまそうかということじゃ。

太郎冠者それはかたじけのうござる。習(なろ)うて成ることならば教えて下されい。詐欺師別にむつかしいことでもおりない。「かさをさすなる春日山(かすがやま)、これも神の誓いとて、人がかさをさすなら、我(われ)もかさをさそうよ。げにもさあり、やようがりもそうよの」、という分(ぶん)のことでおりゃる。

 

詐欺師は囃子(音楽)に合わせ、「かさをさすなる春日山(かすがやま)、これも神の誓いとて、人がかさをさすなら、我(われ)もかさをさそうよ。げにもさあり、やようがりもそうよの」と唱えて舞を舞うという芸を太郎冠者に教えます。この言葉の意味はよく分かりません。「げにもさあり、やようがりもそうよの」というのは囃子の伴奏に合わせて言う言葉です。(よっ、大統領の「よっ」とかと同じ)太郎冠者は教えられた通りに、呪文のようにこの言葉を唱え、傘を広げさしながら、足で拍子を取り何度も歌います。すると…

 

果報者 いかにやいかに太郎冠者、たらされた【だまされたのは】は憎けれど、囃子物が面白い。

 

と言って、果報者は笑顔で太郎冠者を許します。先ほどの勘違いが面白いのは、果報者の言いつけを詐欺師が自分に都合のいいように解釈しなおしていくという「論理」の面白さでした。しかし後半は、なにかその失敗を取り繕う「論理」はありません。太郎冠者は囃子物の力で果報者の機嫌を直します。そこには「勘違いで買い間違えた」という「現実」とか「論理」を、「芸の力」が乗り越える瞬間があるのではないでしょうか。傘を買ってきても現実には役には立たないけれども、それはそれとして歌と踊りは面白い。歌の内容も分かりにくいけれども、それでも面白い。そういう「論理」とか「現実」を忘れる瞬間がここにはあるのかもしれません。

全然スケールが違うかもしれませんが、最近のご時世にもこういうことは言えるのではないでしょうか。現実はなかなか変わりませんが、芸の力にはそれを「超える」というか、「忘れさせる」瞬間があります。それが何の役に立つのかと言われるかもしれませんが、それを一瞬忘れることが出来るだけでも、価値のある事ではないでしょうか。そういう意図が「末広がり」にあるのかはわかりませんが、最近の御時勢を見ていると、そういう「きれいごと」を、狂言「末広がり」から考えさせられました。

因果ってなんだろう?(『日本霊異記』より)

昨日の歩数が4470歩だったので(ガラケーが教えてくれました)今日は岩波書店日本古典文学大系」70番の『日本霊異記』です。帯には「古代の民衆の哀歓を生々と語る百十余の多彩な説話群!」とあります。平安初期の仏教説話集です。今日はその上巻を読みます。

 

読んでいくと、「こうしたら、こうなった」という話が結構登場します。いくつか挙げると…


・前世で法華経の一字を燃やしてしまった→その字が覚えられない(縁第十八)
・馬に重い荷物を持たせて酷使した→両目が釜に煮られた(縁第二十一)
・親が借りたものを返さないので、それを責めて孝行しなかった→倉が燃えて飢えて死んだ(縁第二十三)

 

これらの話は大体最後に、なぜこのようなことが起こったか説明があります。

ケース1:前世で法華経の一字を燃やしてしまった→その字が覚えられない(縁第十八)

教訓「誠に知る、法花の威神【法華経尊いこと】、觀音の驗力なること【観音の力】を【知る】。善惡因果經【経典の名前】に云はく「過去の因【原因】を知らむと欲(おも)はば【知りたければ】、其の現在の果【結果】を見よ。未來の報【報い】を知らむと欲(おも)はば、其の現在の業【所業】を見よ」といふは、其れ斯(こ)れ【前世で法華経の一字を燃やしてしまった結果、一字を覚えられなかったこと】を謂ふなり。

 

ケース2:馬に重い荷物を持たせて酷使した→両目が釜に煮られた(縁第二十一)

教訓「現報【悪行に対する報いは】甚だ近し【すぐに起こる】。因果を信(う)く應(べ)し。【何かを】畜生【獣など】と見ると雖も【一見そうだがそれは】、我が過去の父母なり【前世の父母の転生したものである】。六道四生【仏教用語。(「人以外の世界も」のような感じ?)】は、我が生まるる家なるが故に【来世で自分が生まれるところだから】、慈悲无くある可(べ)から不(ざ)るなり。【慈悲をもって接さないといけない。】」

 

ケース3:親が借りたものを返さないので、それを責めて孝行しなかった→倉が燃えて飢えて死んだ(縁第二十三)
教訓「所以(このゆえ)に、経に云はく【経典のいう事には】「不孝の衆生【親孝行しない人】は、必ず地獄に墮ち、父母に孝養【親孝行】すれば、淨土に往生す【極楽浄土に行ける】」といふ。是(こ)れ、如來【仏陀】の説く所、大乘【大乗仏教】の誠の言なり。」

 

読んでいて、最近流行っている『呪術廻戦』の「因果は全自動ではない」という台詞が浮かびました。それは、悪いことするやつが自動的にひどい目にあうわけではないから、自分たち(呪術師)がその代行をしなければならないという文脈だったと思います。それに対して『日本霊異記』は、仏さまがすべて見ていて、悪いことをしたら自動的に懲らしめられる、というように書いてあるような気がします。この二つの違いは何でしょうか。

 

例えば、昔の時代劇とかは(あまりまだ見れてませんが)いわゆる勧善懲悪の構図になっていることが多いと聞きます。漫画だと『ワンピース』とかもそんな感じでしょうか。

 

それに対して例えば『チェンソーマン』とかって誰が正しいんでしょう。『鬼滅の刃』だって、鬼の方にも事情というかドラマがあって、そこが面白かったように思います。『呪術廻戦』もそうです。『ドラゴンボール』とか『ワンピース』より、「勝っても」すっきりしないというか…。『日本霊異記』の上にあげた話のような(そうでない話もあるかもしれませんが)「因果は全自動。悪いものは悪い。」という考えに対して、「そうはいっても仕方ないというか、事情があるよね」という考えも、生まれるものなのだと思いました。

 

一元的な勧善懲悪に対する多様な価値観の提示という現象はもっと前にも見られます。

日本霊異記』縁第十一に、幼い時から漁をしていた人が、体が焼けるような妄想にとらわれ、出家をするという話があります。漁は生き物を殺すことですから、罪深いと考えられて、その罪で体が燃えるような幻覚を見る、というような話です。それに対して室町時代謡曲『善知鳥』(「うとう」と読みます)にはこんな一節があります。

 

「とても渡世を営まば【世渡りをすれば】、士農工商【殺生をしなくていい身分】の家にも生まれず【家に生まれたら殺生をせずに済んだのにそうではなく】、または琴棋書画【風雅な遊び】を嗜む身ともならず、ただ明けても暮れても殺生を営み…」(日本古典文学大系謡曲集上』より引用)

 

私は魚が大好きですし、漁をしてくださる方を罪深いとは思いません。肉も好きで、猟師の方も罪深いとも思いません。そうではなく、この話のポイントは、『日本霊異記』では漁師側の言い分が聞けないのに対して、『善知鳥』では、そういう家に生まれたのだから、生きていくには猟をするしかなかったという風に言っているという点です。

 

そういう話を読んで思うことは、『チェンソーマン』でも『呪術廻戦』でもそうですが、価値観が戦った時、どちらかが勝ちどちらかが負けることはあっても、負けた側が「自分が悪いから負けた」と思うことはない、ということです。実は主人公の方が負けることだってありえて、ただどちらかが「なんとなく」勝っているだけという場合も少なくないのではないでしょうか。主人公が勝つ必然性は実は無くて、だから全自動ではない。(『善知鳥』の場合は、主人公は後悔をするのですが…)

 

考え方が違う人は、その価値観自体が違う可能性があります。そうした時にこうした話を考えますと、価値観の優劣は実は分かりにくいというか、自明ではないように思います。それを自覚しながら、妥協点を見つけていかなければいけないんだろうなあ、と思いました。もちろん、戦わないで済むのならそれが一番いいのですが…。

 

しかし、もしどちらかの価値観が「正しい」と知っているものがいらっしゃるとすれば…それは「神様」か「仏様」で、だとすると『日本霊異記』的な世界になるんだろうなあ、と思いました。

 

恋はいつでもハリケーン(『西鶴集上』から)

今日は岩波書店日本古典文学大系」47番「西鶴集上」から「好色五人女」巻一です。帯には「人間の官能を大胆率直にうたいあげた古典 芭蕉近松と並び立つ日本文学史の巨峰!」とあります。
  いつ:江戸時代
  どこで:播州室津兵庫県
  だれが:清十郎、お夏(二人は恋仲になる)
  どうした:清十郎が亡くなり、お夏が悲しむ
ざっくり言うとこういう話です。(ざっくり過ぎるか)
清十郎はプレイボーイです。

 

「夜するほどの事をしつくして、後は世界の図にある裸嶋とて、家内のこらず、女郎はいやがれど、無理に帷子ぬがせて、肌の見ゆるをはじける。」

 

訳しません。「世界の図にある裸嶋」とありますが、「日本古典文学大系」の注には、当時の中国の世界地図には日本の東千里余りの海の上に「裸嶋」という場所が載っていたと書いてあります。とんだワンピースです。

そんな風にして遊びまわっている清十郎は父から勘当されます。そして、ある遊女との心中に失敗した後、知人の店に住み込むことになります。お夏はその店の主人の妹です。お夏は、清十郎の帯からたくさんの女性からの手紙を発見し、清十郎への恋に落ちます。この時の気持ちは一読した限りだと分かりませんでした。モテる男って、モテたという実績でモテるんですか?

 

「【その手紙には】當名(あてな)皆清さま【清十郎のこと】と有て、うら書(がき)は違ひて、花鳥・うきふね・小太夫・明石・卯の葉・筑前・千壽・長しう・市之丞・こよし・松山・小左衞門・出羽・みよし、【すべて女性の名前】みなみな室君の名ぞかし。【名だということだ。】【お夏が】いづれ【どの手紙】を見ても、皆女郎のかたよりふかくなづみて【女の方から慕って】、氣をはこび、命をとられ、勤のつやらしき事【遊女のセールストークのようでも】はなくて、【遊女が】誠をこめし筆のあゆみ、【お夏が思うには】「是なれば傾城とてもにくからぬものぞかし。又此男の身にしては浮世ぐるひせし甲斐こそあれ。さて【清十郎の】内證(ないしやう)に【心の内に】しこなしのよき事もありや【良いところがあるのかもしれない。】。女のあまねくおもひつくこそゆかしけれ【心惹かれる】」と、いつとなくおなつ清十郎に思ひつき、」

 

とあるので、たくさんの女の人に思われていることをプラスに捉えているみたいですね。女心は複雑です。そしてお夏は清十郎への物思いにふけるようになります。

 

「それより【お夏は】明暮心をつくし、魂身のうちをはなれ、清十郎が懷に入て、我は【お夏は】現が物いふごとく【抜け殻のようで?ぼんやりして】、【以下、ぼんやりした様】春の花も闇となし、秋の月を昼となし、雪の曙も白くは見えず、夕されの時鳥も耳に入ず、盆も正月もわきまへず、後は我を覚ずして、恥は目よりあらはれ、いたづらは言葉にしれ、世になき事にもあらねば」

 

この恋に落ちてぼんやりする様が好きです。その中にも季節を読み込むんですね。そして一度恋に落ちると、生活のコントロールが出来なくなる様子が書かれています。ワンピースの台詞にある、「恋はいつでもハリケーン」ですね。

 

そして清十郎とお夏は結ばれ、二人で駆け落ちしようとしますが、捕まってしまいます。その時折り悪く清十郎の店から大金が盗まれ、清十郎はその罪を着せられ、死刑になってしまいます。お夏はそのことを知らず、神様に清十郎の無事を祈ります。するとお夏の夢の中に神様が現れて、お告げをします。

 

「汝【お夏】我【明神の】いふ事をよく聞べし。惣じて【一般に】世間の人身のかなしき時いたつて無理なる願ひ、此明神がまゝにもならぬなり【無理な願いは明神にもどうすることもできない。ぶっちゃけ過ぎ】。【以下、無理な願いの例】俄に福徳をいのり、人の女をしのび【恋い】、悪(にく)き者を取ころして【取り殺せ】の、ふる雨を日和【晴れ】にしたいの、生つきたる鼻を高ふしてほしひのと、さまざまのおもひ事、とても叶はぬに【叶わないのに。願いもなかなかアグレッシブ。】【人々は】無用の佛神を祈り、やつかいを掛ける。
過にし祭【前の祭り】にも、参詣の輩(ともがら)壹万八千十六人【18016人。この辺はさすが神様】、【参拝に来た人は】いづれにても大欲に身のうへをいのらざるはなし【自分の幸福を祈らない人はいなかった。】【明神は】聞きいておかしけれ共【おい】、【人々が】散錢(さんせん)なげるがうれしく【おい】、神の役に聞なり。
此参りの中に只壹人【1人】信心の者【信心深い人】あり。高砂の炭屋の下女、何心もなく、「足手(あして)そくさいにて【健康で】、又まいりましよ」と拜(おがみ)て立しが【女は拝んでいったが】、こもどりして【戻ってきて】、【下女】「私もよき男を持してくださりませい」【恋人をください】と申。【明神】「それは【縁結びは】出雲の大社(あふやしろ)を頼め。こち【明神】はしらぬ事」といふたれども【言ったが】、【下女は】ゑきかず【聞かずに】に下向(げかう)しけり。【帰っていった】
【明神の台詞】その方【お夏】も親兄次第に男を持ば【親兄の言うとおりに縁談をすれば】別の事もなひに【無事に済んだのに】、【お夏が】色を好て其身もかゝる迷惑なるぞ。【このような苦しい羽目になるのだ】汝【お夏】、おしまぬ命はながく、命をおしむ清十郎は頓(やがて)最期ぞ」

 

かなり歯に衣着せぬ感じの神様です。今から考えれば時代錯誤な感もしますが、恋さえしなければ悲しい目に合わなかったのにという明神の台詞は、今にも通じることなのかもしれません。それでも「恋はハリケーン」ですから、コントロールできないのですが。
結局清十郎は処刑されてしまいます。お夏はまだそれを知りません。周りの人も清十郎がどうなったのか教えてくれません。すると、一人の子供が歌う歌が耳に入ってきます。

 

「里の童子(わらんべ)の袖引連て、「清十郎ころさばおなつもころせ」と【子供が】うたひける。【お夏は】聞ば【聞けば】心に懸て、おなつそだてし姥(うば)に【そのことを】尋ければ、【姥は】返事しかねて泪(なみだ)をこぼす。」


子供は残酷です。すぐに本質を突きます。本質怖い。
そして清十郎の死を覚ったお夏は狂乱状態になります。

 

「間(ま)もなく【ひまなく】泪(なみだ)雨ふりて【涙が雨のようにあふれて】、【お夏】「むかひ通るは清十郎でないか、笠がよく似たすげ笠が、やはんはゝ」の【お夏は】けらけら笑ひ、【お夏の】うるはしき姿、いつとなく取乱(とりみだ)して狂出(くるひいで)ける。有(ある)時は【お夏は】山里に行暮て【山里で夜を迎えて】、草の枕に夢をむすめば【野宿】、其まゝにつきづきの女も【お夏の周りの女も】おのづから友(とも)みだれて【周りの女も又狂乱状態になって】、後は皆々乱人となりにけり。」


恋しい人を失い、雑踏の中で思い人の姿を探し、野山で夜を迎え…これくらい激しく人は人を思うのだなあ、と考えさせられます。結局お夏は出家をし、この物語は終わります。

まとめると、物思いというものは決して楽なものではなく、しかし物思いをしないわけにもいかず、まさに「恋はいつでもハリケーン」という感じなのでしょうか。いつ、何が失われるかわからない世の中ですが、そのなかでできるだけ手を尽くし、祈るように生きていきたいと思いました。

長い時間の話(『平安鎌倉私家集』から)

今日読むのは岩波書店日本古典文学大系」八十番の、『平安鎌倉私家集』です。
帯には「やがて新古今に結実する絢爛多彩な個人歌集の数かず!」と書いてあります。その中の「好忠集」の中にこのような歌があります。
  我見ても春はへぬるをなよ竹のそれよりさきにいくよへぬらん(春下・31)
  (自分が見始めてからですら何度も春は過ぎているのだが、竹の若い部分より先にどれくらいの節を経たのだろう。私が見始めてから先にどれくらいの世を経たのだろう。)
若い竹の先を見て、この竹はどれくらいの時間を経ているのだろう、という時の経過を感じたという内容のようです。竹の節(よ)は「世」とか「夜」と同音で、掛詞になっています。こういう例は他にもたくさんあります。
  比翼連理の言の葉もかれがれになる私語(ささめごと)の笹の一夜の契りだに名残は思ふ習ひなるに(謡曲楊貴妃』)
  (ずっと一緒にいようという言の葉も枯れ、離れ離れになってしまう語り事、(笹の一節のように短い)一夜の逢瀬でさえも名残は重く、物思いをしてしまうものなのに)
楊貴妃』も「節」と「夜」をかけ、そこに「言の葉」や「枯れ」などの縁語が加わっています。一つの言葉がずるずると別の言葉を導く感覚と言うか、昔の人の言葉のつながりへの感覚は大変興味深いです。
「好忠集」のこの歌は、『伊勢物語』や『古今集』のこの歌を意識していると言われています。
  われ見ても久しくなりぬ住の江の岸の姫松いくよへぬらん
  (自分が見てからも久しくなった住の江の「岸の姫松」はどれくらいの世を経たのだろうか。)
私の周りを見渡してみると、一番の年長者は五年間使ったiPhone6だったりします。(最近長い勤めを終えました。)これには愛着を感じるのですが、この人たちが竹や松に感じているのは、自分の人生では測りきれないほどの長い時間に対する感慨なのだと思います。こういうことは家の中ではなかなか感じることはありません。おばあちゃんの家にあった、身長を刻んだ柱とかからは感じますが。変わらないものを見て変わっていく自分を意識するという気持ちです。そして、そういう風にずっと昔の人が思っていたということを聞いて、私も同じようにしみじみしてしまいます。
感慨は言葉に残さないと消えてしまい、他の人に見られることもありません。しかし、言葉に残った感慨は新しい感慨の種になります。今ではツイッターとかで、同じ時間を生きている人たちのたくさんの感慨に触れることが出来ます。しかしこういう風に残された言葉を読むと、ずっと昔の人の感慨に触れることもできます。すごい時代に生まれたものです。

 今回はとりあえずこの感慨を書いておきます。