「鬼にならないか?(なりたくない)」(『宇治拾遺物語』より)

こんにちは。今日は岩波古典文学大系から『宇治拾遺物語』です。鎌倉期の説話集です。その中の、「日蔵上人吉野山にて鬼にあふ事」を読みます。

 

人に聞けない質問があります。「「人を呪わば穴二つ」という言葉がありますが、実際に穴が開くほど人を呪ったことはありますでしょうか。」という質問です。万一、「恨みで、トムとジェリーに出て来るようなチーズみたいに穴ぼこです。」と言われたら、その相手が自分かどうかが気にかかり、夜も眠れなくなりそうです。幸いというべきでしょうか、私には「人を呪わば穴二つ」の意味を思い知るような経験はありません。

 

ところで、『宇治拾遺物語』にこのような話があります。

吉野山にこもって修行をしている高名な僧が鬼に出会います。その鬼の様子はというと…

 

たけ【身長】七尺斗(ばかり)の鬼、身の色は紺青(こんじやう)の色にて、髮は火のごとくに赤く、

くび細く、むね骨は、ことにさしいでて【胸の骨が出ている=痩せている】、いらめき【角が立っていて】、腹ふくれて、脛(はぎ)は細く有けるが、此おこなひ人【高名な修行者】にあひて、手をつかねて、なく【泣く】こと限なし。

 

 

高名な修行者は泣いている鬼に出会い、何故泣いているのかと尋ねます。

 

ここで私は、『泣いた赤鬼』の話を思い浮かべ、「友達を助けるために嫌われた」的な心温まる話を想定していました。しかし、鬼は泣いている理由はそうではありませんでした。

 

「われ【鬼】は、此(この)四五百年をすぎてのむかし人にて候しが、人のために恨をのこして、今はかゝる鬼の身となりて候。」

 

鬼は四五百年くらい前の人間で、誰かを恨んで死んだために鬼になったと言います。『鬼滅の刃』にありそうな展開です。

 

「さてその【鬼が恨みを残して死んだ】敵(かたき)をば、【恨めしいという】思のごとくに、とり殺してき【とり殺してしまった】。」

結構強力な鬼みたいです。

「それが子、孫、ひこ、やしは子にいたるまで、のこりなくとり殺しはてて【子孫まで皆殺しにして】、今は殺すべき者なくなりぬ。」

ついに鬼は相手の子孫まで皆殺しにしてしまいました。鬼の呪い強っ。さて、では鬼は何故泣いているんでしょうか。長いですが、全文を引いてみます。

 

「されば、なほ【猶、まだ】かれらが生れかはりまかる後までも知りて、とり殺さんと思候に、つぎつぎの生れ所、露も【少しも】しらねば【分からないので】、取殺すべきやうなし【とり殺すための手段がない。】。瞋恚(しんい)の炎【恨み燃え上がる気持ち】は、おなじやうに、燃ゆれども、敵の子孫はたえはてたり。

【鬼】ひとり、つきせぬ【尽きない】瞋恚の炎に、もえこがれて、せんかたなき【どうしようもできない】苦をのみうけ侍り。かゝる心【恨みの心】を起さざらましかば【起こさなければ】、極樂天上にも生れなまし【生まれただろう】。殊に、恨みをとゞめて、かゝる身【鬼】となりて、無量億劫(むりょうおくごう)【計り知れない長い時間】の苦を受けんとすることの【受けることになることの】、せんかたなく【どうしようもなく】かなしく候。

人のために恨をのこすは、しかしながら【結局】、我身のためにてこそありけれ【自分のためであったことだ】。敵の子孫は尽きはてぬ。わが命はきはまりもなし【鬼の自分の命には終わりがない(苦しみが尽きない)】。かねてこのやう【このこと】を知らましかば【知っていれば】、かゝる恨をば、のこさざらまし【恨みを残さなかっただろう】

 

 

鬼は、相手の子孫を呪い殺しても自分の恨みが尽きることがなく、その恨みの炎が自分を焼くため、その苦しみが終わる見通しすら立たないことを悲しんで泣いているみたいです。人の恨みというのは、相手を取り殺してもまだ続くくらいに深いものなのでしょうか。

 

鬼は、「そんなことと知っていれば、恨みは残さなかったのになあ」と言います。だからと言って、この鬼を他人事のように断ずることが出来ないと感じるのは、私だけでしょうか。「穴二つ」だと分かっていても人を恨みたくなる時が、私の人生にも来るのではないか。そんな気がします。

 

この物語の結末には、

 

さて日藏の君【高名な僧は】【鬼を】あはれと思ひて、それがために【鬼のために】、さまざまの罪ほろぶべき事【罪を減らすこと(仏事)】どもをし給けるとぞ【されたということだ】

 

とあります。僧が鬼のために仏事を行ったとありますが、注目したい点は、鬼が実際にどうなったのかは書いていないという点です。

 

私は、この鬼が救われていてほしいと思います。そして、それくらい深く人を恨むような瞬間が自分の人生に来ないでほしいと思います。しかし、いつかそんな瞬間が来るのではないかとも思います。それほどの恨みを晴らすことは出来ないかもしれませんが、鬼になる前にこの物語を読んでいて良かったと、そう思いました。