上品に争いたい(『謡曲集下』より)

昨日の歩数は14941歩でした。今日は日本古典文学大系41番『謡曲集下』から「雨月」です。
西行が住吉に行き宿を求めていると、何やら老人夫婦が言い争いをしているようで…。一体何を言い争っているのでしょうか。

登場人物:お爺さん(以下、爺)お婆さん(以下、婆)、西行

爺・婆「さりながら秋にもなれば夫婦の者、月をも思ひ雨をも待つ、心ごころに葺(ふ)き葺(ふ)かで、住める軒端の草の庵り、いづくに寄りて留まり給ふべき。」

話題は、家の軒場の屋根のことです。軒端の屋根を葺くか、葺かないかで意見が分かれているみたいです。何故でしょうか。

西行「さては雨月のふたつを争ふ心なるべし、月(つき)はいづれぞ雨(あめ)はいかに」
婆「姥はもとより月に愛でて、板間も惜しと軒(のき)を葺(ふ)かず、」
爺「おほぢは秋の村時雨、木の葉を誘ふ嵐までも、音(おと)づれよとて軒を葺く、」
婆「かしこは月影」
爺「ここは村雨(むらさめ)」


お婆さんは月が見たいので、屋根を葺いて月が見えなくなるのを惜しんでいます。それに対してお爺さんは屋根に当たる雨の音が聞きたいので、屋根を葺きたいと思っています。

婆「定めなき身の類ひまでも、」
爺「賎が軒端(のきば)を葺きぞ煩(わづろ)ふ、賎が軒端を葺きぞ煩ふ。面白やすなはち歌の下(しも)の句なり、この上の句を継ぎ給はば、お宿は惜しみ申すまじ。

言い争っていたら歌の下の句が出来てしまいました。お爺さんはこの上の句を上手くつけてくれたら、西行を家に泊めてやってもいいと言います。そして西行は歌の名手です。


西行「もとよりわれも和歌の心、その理を思ひ出づる、
月は漏れ、雨は溜まれととにかくに、」
爺「賎が軒端を葺きぞ煩ふ。
月は漏れ、雨は溜まれととにかくに、賎が軒端を、葺きぞ煩ふ
面白の言の葉や、げに理も深き夜の、月をも思ひ雨をさへ、厭はぬ人ならば、こなたへ入らせ給へや。」

「月は漏れ、雨は溜まれととにかくに賎が軒端を葺きぞ煩ふ。」
月の光は漏れてくれ、雨は漏れずに溜まってくれとあれこれ言って、身分の低い老夫婦は軒端の屋根を葺くのをためらっているというような意味でしょうか。


老夫婦の争っている内容も、歌が上手にできたら泊めてあげようという趣向も、なんというかとても好きです。私の暮らしなんか、牛乳を低脂肪乳にするかそれとも普通の牛乳にするかくらいで争っていますが、これくらい上品な喧嘩?をしてみたいなあと、そう思いました。