重荷の中身は何だろう?(『謡曲集上』より)

昨日の歩数は15840歩でした。今日は日本古典文学大系40番の『謡曲集上』から「恋重荷」です。


賤しい身分の老人が、高貴な身分の若い女の人に恋をしてしまいます。女の人は、庭先にある「荷」を老人に持ち上げるように言います。それを持って庭を何度も回ったら、老人の前に姿を現そうと言うのです。老人はそれを聞き「荷」を持ち上げようとしますが、持ち上げることが出来ません。その荷は見た目は美しいものなのですが、実際は「重荷」だったのです。そして老人は失意のうちに、女に「祟ってやる」と言って死んでしまいます。その祟りを恐れて、女の付き人は女の人に姿を現すように勧めます。

女「恋よ恋われ中空(なかぞら)になすな恋、恋には人の死なぬものかは、
無慚の者の心やな。」

「軽はずみに恋をしてはいけない、恋で人が死ぬことすらあるのだから」というような歌を女が詠み、老人の心を悼みます。

付き人「それまでは【そうまで言っては】あまりに忝なき(かたじけなき)おんことにて候、はやはやおん帰りあらうずるにて候【帰りましょう】」
女「いや立たんと【立とうと】すれば盤石に押され【大きな石に押さえつけられるようで】、さらに立つべきやうなし【立つことが出来ない】」

今度は、女の人の方が重たいものを持たされたように、立てなくなります。そして老人の幽霊が現れます。

老人「吉野川【の】岩切り通し【狭くなって流れが速いところを】行く水の【ように】、音には立てじ恋ひ死にし【人の噂に立てられまいとして恋死にをしてしまった】、
【その私が】一念無量(むりよお)の鬼となるも、ただ由なやな【つまらないことだ】誠なき【誠意のない】言寄せ妻【重荷を持てと言った女】の空頼め【守る気のない約束は】、げにも由なき【ひどい】心かな。

老人の恨み言は続きます。

うきねのみ【悲しい一人寝ばかり】三世の契りの満ちてこそ【いつか夫婦になれるという望みがあればこそ】、【人は】石の上にも坐すといふに、われ【老人】は由なや逢ひがたき、巌(いわお)【を入れられて見かけよりも重い】の重荷持たるるものか【持つことが出来るか、いやできない】、あら恨めしや

葛(くず)の葉の【裏を見せる植物で、「うらみ」にかかる。】。玉襷(たまだすき)【畝傍の枕詞】、畝傍の山の山守りも、【薪を持ちなれた山守だって】さのみ重荷は持たねばこそ【持つことが出来ないだろう】、

重荷といふも思ひ【火の縁語】なり、浅間【火山】の煙【火と重なる。】、【浅間と同音】【私は】あさましの身や、【私が受けるのは】衆合地獄の、重き苦しみ、【女に】さて懲り給へや、懲り給へ。

 

「重荷といふも思ひなり」という台詞が面白いです。またそれが「火」のイメージを生み、その思いが「煙」「地獄」とごうごうと燃えていきます。言葉が次の思いを引き連れてきています。そして老人は女に「懲り給へ」と言います。恐ろしい話です。


余談ですが、私は高校生の時にテレビでこの能を見たことがあります。適当に付けたら珍しいものをやっていたので、なんとなく見ていました。言葉も聞き取れないし、古文もよくわからないし、舞台の上で何が起こっているのか分かりませんでしたが、とつぜん綺麗な着物を着た女の人が立ち上がり、「恋よ恋われ中空になすな恋、恋には人の死なぬものかは」と歌い上げたのを覚えています。それはそれは綺麗な声でした。結局最後まで話の筋は分かりませんでしたが、何かとても興味深いものが奥に潜んでいるような気がして、テレビの前から離れることが出来ませんでした。

 

この話は、最後に老人の怒りが突然解けて、「葉守の神となって、これから先はあなたを守りましょう」と言って終わります。その結末の解釈が難しいので今回は避けました。しかし、見返してみても何か興味深いものが潜んでいる気がします。この話には何が入っているのでしょう。大げさに言えば、限られた時間しか味わえず、忘れてしまいがちな「真剣さ」なのかなあと思いましたが、まだしっくりとは来ないのでした。