セルフ流罪の記録

セルフ流罪の記録

昔の人の旅を体験するために三年くらい前に行った時の記録です。いつか授業の余談などで使う時のために挙げておきます。

京都→須磨 二〇一八年三月卒業式の日 従兄弟と

一日目
十五時 スーツから着替えると突然従兄弟から電話がかかって来る。京都から須磨まで歩くことになる。
十六時 夕日を受ける桜を眺め、加茂川沿いを歩く。
一七時 川沿いの道が途切れ、工業地帯に放り出される。日が傾き始める。
一九時 公園でプッチョを食べながら、相手に引き返そうと言わせるための心理戦を繰り広げる。冗談めかしながら、卒業式より真剣に。
二三時 「街だ!」「いいえ違います、それは村田製作所です。」これが記憶に残っている唯一のやり取りである。しばらく歩き、長岡京駅にたどり着く。
二四時 人生初のネットカフェは、サザンオールスターズの「愛しのエリー」一曲がオルゴールで無限に流れている。六道の一つに数えられても遜色はない。

二日目
八 時 出発。天気は快晴。湧き水を汲み、峠を越える。
一〇時 ついに県境を越える。「眼光が、県境を越えた光を帯びているぜ。」「道行く人も、避けていくぜ」そんなことを話していると、山崎ウイスキー工場が現れる。
一三時 千鳥足で水無瀬川の河口に降り、船着場の跡を眺めながら石を投げる。
一四時 水無川神宮に立ち寄り、表には出てこないが、自分の中をしっかりと流れる思いに耳を傾ける。「言に出でて言えばそれまで水無瀬川電車に乗れば一時間哉」
一五時 ガタ、ガタン、ゴトン、ガタタン…
十六時 取り返しのつかないことをしてしまった。改札を抜け須磨に辿り着く。春の海はとても穏やかに揺れていた。自分たちがどの道を進んでも、無関心に揺れているであろう海に向かって思い切り石を投げた、三月の夕方であった。
帰り道 帰宅ラッシュに揉まれ電車で帰る。京都に入ったあたりで、自分とは反対側の窓に押し付けられている従兄弟が、小さく俯くのを見た。旅の感慨か、と聞くと、抑えた声で、「村田製作所が、千切れるように飛んでいった…」と言った。そこから京都駅まで十分足らずだった、らしい。