IPPONN!(『連歌集』より)
昨日の歩数は13839歩でした。今日は「日本古典文学大系」39番の『連歌集』です。
突然ですが、私は大喜利が好きです。例えば写真を見せられて、「この人は、何を思っている?」と聞かれます。大喜利番組で(名前は言いませんが)、芸人さんが答え、スタジオが笑いの渦に包まれ、「イッポン!」となるのは何故でしょうか。答えた「後」に人が笑うのですから、それは写真の面白さにはあまりよらないと思います。その面白さは、写真を解釈した上で、聞いている人の思っても見なかったような答えを聞かされる、その「差」が面白いのではないかと思います。何故それが面白いのかは説明しようとしても難しいですが…
「連歌集」の中には、「イッポン!」がいっぱいです。目に付いた例を一つあげるだけなのですが、
年のうちにまづ立つ春ぞ待たれける
季節は冬。「年のうちに」というのはまだ年が明けてもないのにということです。「立つ春」は立春。立春の日は寒いですが、暦の上では春ということになります。(今でも寒いですよね)暦の上だけ春になる、立春が待ち遠しいというような意味らしいです。
なぜでしょう。
私は、「名前だけでも春になって欲しいくらい、寒い冬だったのかなあ」とぼんやり予想していました。
しかし、この上の句に対して下の句を付けた人、後鳥羽院は次のように答えます。
かつちる雪を花にまがへて
「かつちる雪」は大系では「牡丹雪」と注が付けられます。
ちらちらと落ちてくる花を、桜と間違えたから、だから春が恋しくなっちゃった、というような歌かと思います。
う-ん。なんとも綺麗な答えです。こんな発想力を鍛えるには、膨大な表現のストックがあるのかもしれません。こういう言葉を聞くと、私は逆に雪が見たくなってきてしまいました。発想を飛ばせるなら、人は頭の中でどこへでも行けます。漠然としていますが、人間の発想の豊かさについて考えてしまいました。落ちは特にありません。90%くらいワイプに抜かれた自分の顔が頭に浮かびます…