生き生きとしたキャラクター(『風来山人集』より)

一昨日の歩数は4855歩でした。今日は日本古典文学大系55番の『風来山人集』を読みます。帯には「あまりに特異な才能ゆえに世に容れられず数奇な運命を辿った平賀源内の作品集!」とあります。その中から「根南志具佐」(根なし草)という、源内が書いた江戸時代の、今でいう「戯曲」と言うべきなのでしょうか…そういうものを読みます。
読んでいて、キャラクターの愛らしさが印象に残りました。
物語には地獄が出て来るのですが、その地獄の描写が面白いです。

 

【地獄は】昔はさのみ鬧敷(いそがわしく)もあらざりしが【忙しくもなかったが】、近年は【江戸時代】人の心もかたましく【ひねくれてきた】なりたるゆゑ、様々の悪作る者多く、日にまして罪人の数かぎりもあらざれば【数に限りもないので】、前々より有來(ありきたり)の地獄にては、中々地面不足なりとて、閻广王【閻魔様】こまり給ふ折を窺【タイミングをうかがい】、山師共【土地に投資をする人】は我一と内證【裏から手をまわし】より【閻魔様に】付込(み)、役人にてれん追從賄賂【役人に様々に手を尽くして】などして、さまざまの願を出し、極楽海道十万億土の内にて、あれ地【荒地】を見たて、地藏菩(ぢぞうぼさつ)の領分、茄子畠(なすびばたけ)の辺までを切ひらき、数百里の池を掘(り)、蘓枋(すおう)【紅の染料】を煎じて血の池をこしらへ、山を築ては剣の苗を植させ、罪人をはたく臼も、獄卒どもの手が届かざればとて、水車を仕懸させ、焦熱地獄には人排(たたら)を仕かけ、其外叫喚・大叫喚・等活(とうかつ)・黒縄・無間地獄等の外に、さまざまの新地獄をこしらへて、岡場所地獄と称し、三途川の姥も一人にては、なかなか手がまはり得ぬとて、…

 

地獄は怖い場所のはずなのに、地獄に落ちる人間の数が増え、鬼が頑張って地獄を拡張していく。その土地は人間につかまされる。コミカルで面白いです。

 

その地獄に、菊之丞という役者への恋情で地獄に落ちた僧が落ちてきます。閻魔大王がその僧を裁くのですが、閻魔は、どうもそのような道は苦手なようで…菊之丞という役者がどれくらい美しいのか、絵を見てみようという運びになったのですが、閻魔大王は、

 

【周りの人が菊之丞の】絵図を見る事は勝手次第たるべし。しかしおれ【閻魔】は若衆を見るは嫌なれば、絵の有内は目を閉て見まじき程に、早とくとく」と御目を閉させ給へば…

 

「おれは見るのは嫌だから、目を閉じておく…」という閻魔です。なかなか愛らしいキャラクターだと思います。


そして、実際にその絵を見てみると、菊之丞のなんたる美しさ。周りの鬼は息をのみ、閻魔も菊之丞に一目ぼれをしてしまいます。そして、菊之丞をなんとか閻魔のいるところ(地獄)に呼ぼうと言う話になるのですが…様々なキャラクターの面白さが印象に残りました。

 

次に、筆者平賀源内がずばずばと物を言っていく様が痛快です。

 

曾子(そうし)【親孝行で有名な人】は飴を見て老を養んことを思ひ、盜跖(とうせき)【有名な盗賊】は是【飴】をみて錠(ぢやう)をあけんことを思ふ。下戸は萩を見てぼた餅を思ひ、歯なしは淺漬を見てわさび菜卸(わさびおろし)を思ふ【すりおろしたいと思う】も、皆人びとの好(む)處(ところ)へ、情の移(うつる)が故なり。好こそ物の上手なりとて、親好(おやずき)は孝行の名を上(げ)、主好は忠臣の名を殘す。是等の好は積(つむ)ことをいとはず。

 

人は自分の見たものを好きなものに寄せて考えがちだと言います。他にも、歌舞伎の女形が役作りのために、月のものになった気分になっていたという事を挙げて、次のように言います。

 

実に其業(わざ)を專一に勤(む)るものは、皆々かくのごとくありたきものなり。然(ら)ば敵役は常に人をいじめ、或は芝居でするごとき悪工(わるたくみ)をして、日に二三度も本に【本当に】殺れても見るやと、理屈いふべけ〔れ〕ども、是又左にあらず。悪き事は似せる事易し、譬(たとへ)芝居でなくとも、悪人になるは何のぞうさもなき事なり。只善に移る事は、勤(め)ずんばなりがたし。

 

人はほっといても悪人になるものなので、悪人の役作りよりも善人の役作りの方が難しいと源内は言います。演劇をしたことが無いのでわかりませんが、ほっといても悪人になりやすいというのは、そうかもしれないなあと思いました。

 

最後に、江戸時代の暮らしの描写が生き生きと描かれていたのが印象に残りました。長いですが…

「行川の流はたへずして、しかももとの水にあらず」と、鴨の長明が筆のすさみ、硯の海のふかきに残、すみだ川の流清らにして、武藏と下総(しもつふさ)のさかいなればとて、両国橋の名も高く、いざこと問(は)むと詠じたる都鳥に引かへ、すれ違ふ舟の行方は、秋の木の葉の散浮がごとく、長橋の浪に伏は、龍の昼寝をするに似たり。

 

かたへには軽業の太鞁(たいこ)雲に響ば、雷も臍(へそ)をかゝへて迯(にげ)去、素麪(そうめん)の高盛(たかもり)は、降(ふり)つゝの手尓葉(てには)を移て、小人嶋の不二山(ふじさん)かと思ほゆ。長命丸の看板に、親子連は袖を掩(おほ)ひ、編笠(あみがさ)提た男には、田舍侍懐をおさへてかた寄(り)、利口のほうかしは、豆と徳利を覆し、西瓜のたち賣は、行燈の朱を奪ふ事を憎。虫の聲々は一荷の秋を荷ひ、ひやつこいこいは、清水流ぬ柳陰に立(ち)寄(り)、稽古じやうるりの乙(おつ)は、さんげざんげに打消れ、五十嵐のふんふんたるは、かば焼の匂ひにおさる。浮絵を見るものは、壺中の仙を思ひ、硝子細工にたかる群衆は、夏の氷柱かと疑ふ。鉢植の木は水に蘓(よみがへり)、はりぬきの亀は風を以て魂とす。沫雪の塩からく、幾世餅の甘たるく、かんばやしが赤前だれは、つめられた跡所斑に、若盛が二階座敷は好次第の馳走ぶり、燈篭売は世帯の闇を照し、こはだの鮓は諸人の酔を催す。髮結床には紋を彩、茶店には薬缶をかゝやかす。講釈師の黄色なる聲、玉子玉子の白聲、あめ売が口の旨榧(かや)の痰切が横なまり、燈篭草(ほゝづき)店は珊瑚樹をならべ、玉蜀黍(とうもろこし)は鮫をかざる。無縁寺の鐘はたそがれの耳に響、淨觀坊(じやうくわんぼう)が筆力は、どふらく者の肝先にこたゆ。水馬は浪に嘶(いなゝき)、山猫は二階にひそむ。一文の後生心は、甲に万年の恩を戴、淺草の代参りは、足と名付し錢のはたらき。釣竿を買ふ親仁は、大公望(たいこうぼう)が顏色を移シ、一枚絵を見る娘は、王昭君がおもむきに似たり。天を飛(ぶ)蝙蝠は蚊を取(ら)ん事を思ひ、地にたゝずむよたかは客をとめんことをはかる。水に船か船かの自由あれば、陸に輿やろふの手まはしあり。僧あれば俗あり、男あれば女あり、屋敷侍の田舍めける、町ものゝ当世姿、長櫛短羽織、若殿の供はびいどろの金魚をたづさへ、奧方の附づくは今織のきせる筒をさげ、もゝのすれる妼(こしもと)は、己が尻を引(き)ずり、渡り歩行(かち)のいかつがましきは、大小の長(き)に指(さ)れたるがごとし。流行医者(はやりいしや)の人物らしき、俳諧師(はいかいし)の風雅くさき、したゝるくてぴんとするものは、色有の女妓(おどりこ)と見へ、ぴんとしてしたゝるきものは、長局の女中と知らる。劔術者の身のひねり、六尺の腰のすはり、座頭の鼻哥、御用達のつぎ上下、浪人の破袴、隱居の十徳姿、役者ののらつき、職人の小いそがしき、仕事師のはけの長き、百姓の鬢のそゝけし、蒭蕘(すうぎやう)の者も行(き)薙莵(ちと)の者も來る、さまざまの風俗、色色の顔つき、押(し)わけられぬ人群衆は、諸国の人家を空して來るかと思はれ、ごみほこりの空に満るは、世界の雲も此處より生ずる心地ぞせらる。世の諺にも、朝より夕まで兩国橋の上に、鎗の三筋たゆる事なしといへるは、常の事なんめり。夏の半より秋の初まで、凉の盛なる時は、鎗は五筋も十筋も絶やらぬ程の人通りなり。名にしおふ四条河原の凉なんどは、糸鬢にして僕にも連べき程の賑はひにてぞ有(り)ける。又かゝるそうぞうしき中にも、恋といへるものゝあればこそ、女太夫に聞(き)とれて、屋敷の中間門の限を忘れ、或はしほらしき後姿に、人を押(し)わけ向へ立(ち)ま〔は〕れば、思ひの外なる顔つきにあきれ、先へ行(き)たる器量を譽(ほむ)れば、跡から來る女連、己が事かと心得てにつと笑(ふ)もおかし。筒の中から飛(び)出(づ)る玉屋が手ぎは、闇夜の錠を明(く)る鍵屋が趣向、「ソリヤ花火」といふ程こそあれ、流星其處に居て、見物是に向ふの河岸(かし)から、橋の上まで人なだれを打(つ)てどよめき、川中にも煮賣の聲ごえ、田樂酒・諸白酒、汝陽が涎(よだれ)・李白が吐(へど)、劉伯倫(りうはくりん)は巾着の底をたゝき、猩々は焼石を吐出す。茶舟・ひらだ・猪牙(ちよき)・屋根舟、屋形舟の数々、花を餝る吉野が風流、高尾には踊子の紅葉の袖をひるがへし、えびすの笑声は商人の仲ケ間舟、坊主のかこひものは大黒にて
の出合、酒の海に肴の築嶋せしは、兵庫とこそは知られたり。琴あれば三弦(さみせん)あり、樂あれば囃子(はやし)あり、拳(けん)あれば獅子あり、身ぶりあれば聲色あり、めりやす舟のゆうゆうたる、さわぎ舟の拍子に乘(つ)て、船頭もさつさおせおせと艫(ろ)をはやめ、祇園ばやしの鉦太鞁、どらにやう鉢のいたづらさわぎ、葛西舟の悪くさきまで、入(り)乱(れ)たる舟・いかだ、誠にかゝる繁栄は、江戸の外に又有(る)べきにもあらず。

 

長く引かせていただきました。全部は分かりませんが、町のにぎやかな様子だけは感じることが出来ます。このように、古典の中で登場人物がいきいきと動き、昔の人の生きた跡を垣間見ることが出来ます。それを今読むことが出来ることは、幸せなことだなあと思いました。