「うつほ」が繋ぐ場所(『宇津保物語』より)

こんにちは。今日は『宇津保物語』です。日本古典文学大系で読みます。
突然ですが、問題です。
Q二人の貴公子が大変すばらしい琴を弾きました。どうなったでしょうか。
考えていただけたでしょうか。『宇津保物語』の場合の正解はこちらです。

A天人をチラ見できました。
まあ、物語ですからね…

涼【主人公のライバル】、彌行【涼の師匠】が【持っている】琴【で】、なむ風【主人公の琴】に劣らぬ【琴】あり、この涼の琴を、院の帝にまいらす。帝同じ声【音色】に調べて【チューニングして】【涼に】給ふ【渡す】。

仲忠【主人公】、かの七人の人の伝へし手【天人が伝えた曲を弾き】、涼は、彌行が琴をすこしねたう【すばらしく】仕うまつるに、

雲の上より響き、地の下よりとよみ【大きな音が起こり】、風、雲動きて、月、星騒ぐ。飛礫のやうなる氷降り、雷鳴り閃めく。雪衾【ふすま】のごと凝りて【固まって】降る。則ち消えぬ。

仲忠、七人の人【天人】の調べたる大曲のこさず弾く。涼、彌行が大曲の音の出づる限り仕うまつる。天人降りて舞ふ。仲忠、琴に合せて弾く。
  朝ぼらけほのかに見ればあかぬかな中なる乙女しばしとめなん
【明け方にぼんやりと見れば、飽きないことだなあ。中にいる天女をもう少しだけこの地上に留めたいものだ】
【天女は】かへりて、いま一辺舞ひて昇りぬ

物語の主人公格二人の演奏に、天地は響き、月星は騒ぎ、ついには天女が降りてきます。そんな馬鹿な、と思われますでしょうか。しかし、そういう経験をしたことはありませんか?

私は、昔、能の名人の舞台を見たときに、ただ名人が歩かれている後ろに光の道を見たことがあります。人生がそのままたなびいているような、そんな道です。そして、それをなんと表現したらいいかわからないままなのですが、その光の道は私の心の中にずっと残っています。それを文学に置き換えたときの一つの形が、この天女が降りて来るという表現なのかもしれないなあと思ったりもします。うん、あれは天女が降りてこないほうがむしろ不思議なくらいの舞台でした。


そしてそれを可能にしたのは芸の力なのでしょう。角川ソフィア文庫『ビギナーズクラシックス』の解説(宮城秀之著)の解説に、「(筆者注:うつほのような)中がからになっている空間は、異界との通路と考えられていました」とありますが、芸能の先もまた、どこかに繋がっているのでしょう。それは、言葉で表現できない世界なのかもしれません。その言葉で表現できない(かもしれない)世界を言葉で表現した作品で、面白い作品って多いですよね。『宇津保物語』もその中の一つかもしれないなあと思いました。