旅は道連れ、世は情け(でもスマホに聞く)(『東海道中膝栗毛』より)

昨日の歩数は7862歩でした。今日は日本古典文学大系62番の『東海道中膝栗毛』を読みます。江戸時代の本です。二人の人物が旅をしていきます。
旅の出来事って、何故あんなに面白いのでしょう。主人公の一人弥次郎兵衛がかご(二人が駕籠を担いで人を運ぶものです)を勧められる場面です。

かごかき(「かごよしかの【いらないかね】。だんな戻駕(もどりかご)だ。やすく【安く】いきましやう」
弥次郎兵衛「かごはいくらだ
駕「三百五十
弥「たかいたかい。百五十ならおれがかついでいかア
かご「百五十にまけますべい【まけましょう】
弥「まけるか。ドレドレ此草鞋(わらんぢ)をそけ(其所)へつけて下せへ。
かご「おめへ【弥次郎兵衛が】乗るのかへ【乗るんですか?】。百五十で【弥次郎兵衛が】【駕籠を】かつぐといわしやつたじやアないか。そんだんで【それだから】片棒(かたぼう)【担ぐ棒のもう一方を】わしがかついで、百五十とるのだ
弥「ハヽヽヽ、こいつはいゝ。ヱイハそんなら二百(じば)か
かご「やすいがいきますべい。【行きましょう】ナア棒組(ぼうぐみ)【もう一人の駕籠を持つ人に話しかける】。
サアめしませ【乗りなさい】トかごのねができ、弥二郎兵へこゝよりかごにのつて出かける


旅先でのちょっとしたやり取りですね。運賃の値切り交渉です。駕籠は二人が担ぎます。三五〇という値段に対し「一五〇でなら…」と駕籠持ちに言うと、「じゃあ負けよう」と言われ交渉成立かと思われます。しかし、駕籠持ちは、「半額でやるわけだから、あなたに駕籠の棒の一端を持ってもらわないと…」と言うわけで、結局二〇〇というところで折が付きました。駕籠持ちはなかなか駆け引き上手だと思います。私はあまり値切ったことはありませんが、これくらい会話が楽しめるならやってもいいかなあと思いました。

旅の出来事はどうしてこんなに面白いのでしょう。いつもと違う場所で、いつもと違うものを見て、違うものを食べて…しかし、『東海道中膝栗毛』にはそれに加えて「いつもと違う人」がたくさん出てきます。


そういえば、旅先での人との出会いは私はあまりしていないなあ、と思いました。普通にビジネスホテルに泊まっていても、なかなか人と話す機会はありません。分からないこともスマホが教えてくれます(私はガラケーですが)。値切り交渉なんてしません。飲み屋にも入りません。今はご時世柄難しいですが、世の中が落ち着いたときには、「知らない人と出会えるような」旅がしてみたい。ゲストハウスとか、地元の飲み屋さんに入ってみるとか…やっぱりハードルが高いかなあ、という気もしてきますが。


それに今までも、なんだかんだで旅に出たときは、そこで見た人が記憶に残るような気がします。特に話さなくてもそうです。そういうのって不思議だなあと思いましたが、よく考えると銭湯にいた人か飲み屋にいた人ばかり思い出すような…