そわそわ雨の不思議(『古代歌謡集』より)

昨日の歩数は5303歩でした。今日は「日本古典文学大系」3番の『古代歌謡集』の「催馬楽」です。平安時代の歌謡です。

 

婦(いも)が門(かど) 夫(せな)が門(かど) 行き過ぎかねてや 我が行かば 肱笠(ひぢがさ)の 肱笠の 雨もや降(ふ)らなむ 郭公(しでたをさ) 雨やどり笠(かさ)やどり 舍(やど)りてまからむ 郭公(しでたをさ)

 

(きみがいる家の聞の前を あなたがいる家の門の前を 通り過ぎがたくてなあ 私が行けば にわか雨が にわか雨が 降らないかなあ ホトトギスも 雨宿り 傘宿り 雨宿りして出ていくだろう ホトトギス

似た歌が万葉集にもあるそうです。


妹が門 行き過ぎかねつ ひさかたの 雨も降らぬか そをよしにせむ


(あなたの家の前を行き過ぎがたい。(ひさかたの)雨が降らないかなあ。それを言い訳にするのに)

 

「ひさかたの雨」より「肘笠の雨」(急な雨で傘を忘れて肘で雨を防ぐ様子)の方がイメージしやすいですね。万葉集の歌に比べて、ホトトギスも雨宿りしていてかわいらしいです。


今だったら意中の人の家に雨宿りに行くなんてとてもできないですね。マンションの軒先になら入れるかもしれませんが。「急に雨が降ってくれたら、あなたの傘に入れるのに…」という相合傘をしたいという歌ならあり得るかもしれませんが、相合傘もあまりしているのを見ないです。漫画だとたまに、一つの傘を譲り合ってどちらかの肩が濡れるという表現が出てきますが、この辺が現代的な感覚なのかもしれません。


新海誠の「言の葉の庭」でも思ったのですが、雨にまつわる恋の描写が良く見られるような気がします。ラブコメでも、雨宿りイベントは鉄板です。(鉄板ですか?)雨が降ると、人はそわそわするものなのでしょうか。興味深いと思いました。